2020/5/26

「研究室」に行ってみた。

機会が訪れたのは今年になってからで、たまたまぼくがロンドンに滞在中にケンブリッジ大学の栄養疫学者、今村文昭さんに会うことができた。

ロンドンからケンブリッジ駅までは直通列車で50分弱。駅前からバスに乗り、10分ほどで大学病院であるアッデンブルック病院に到着。そこでしばらく待っていると、グレイのベストを着た30代くらいの男性が、軽く手を挙げながら近づいてきた。

それが、今村さんだった。アメリカのボストンにあるタフツ大学で栄養疫学研究で博士号を取得、同じくボストンのハーバード大学公衆衛生大学院での博士研究員(ポスドク)期間を経て、2013年から英国のケンブリッジ大学MRC疫学ユニットの上級研究職に就いている。糖尿病や肥満に関する疫学を中心に活躍していると聞いている。

今村さんに導かれて病院の建物に入る。患者が行き来するエリアからエレベーターに乗り、MRC疫学ユニットのフロアに着くと、雰囲気が一変した。ぱっと見る限り、病院ではなく、ごく普通の会社のオフィスのような光景だった。たくさんデスクが並んでおり、着席している人たちはそれぞれのPCの画面を見ながら仕事をしている。ぼくたちはさらに奥まったところへと進み、こぢんまりした個室で対話を始めた。

まず今村さんの所属のMRC(Medical Research Council)について聞いておこう。字面通りに訳すなら「医療研究会議」だが、具体的なイメージがわかない。

「ちょっと特殊なんですが、私の立場は、ケンブリッジ大学の研究員であり、日本で言うところの厚生労働省の研究者でもあるんです。MRCは、医学研究の公的な資金をどう分配するかを決める機関で、研究拠点を英国各地に散らばせています。私たちのところは糖尿病と肥満にかかわる疫学のユニットです」

つまり、MRCはイギリス政府が医療関係の研究を委託する仕組みで、国立の研究所をドンと構えるのではなく、各地の大学や研究所にそれぞれのテーマに応じて予算を分配して研究を進める形を取っているのだそうだ。ケンブリッジには、「疫学」の他にも「分子生物学」や「がん」などのMRCユニットがある。

そんな中、疫学ユニットには、50人を超える研究者が所属している。ぼくが見た「オフィス」は、それらの研究者がプロジェクトごとに分かれた大部屋の一つだった。

では、栄養疫学者である今村さんのテーマが、なぜ糖尿病や肥満なのか。

「簡単に言いますと、糖尿病を予防するにはどんな食生活を送るといいのか、どんな生活習慣が望ましいかということを研究しています。今、日本でも1000万人くらい治療を要する患者さんがいると言われていますし、英国でも300万人と社会的な問題です。さらに、世界的に見ると数億人もいて、今も増えています。糖尿病って、それを入り口にしていろんな病気につながっていきます。心臓の病気だったり、腎不全だったり、血管系の疾患の危険因子です。公の立場からは医療費がかさんで社会的な負担になるということで、予防が重要です。そこで、どのような環境因子や遺伝子や代謝の因子が、どれだけ糖尿病に関与しているのか見つけて、それを介して予防をできればよいというわけです。食事というのは、そのひとつの大きな要素なんです」

つまり、今村さんの取り組みの視野と射程は、ぼくたちが素朴に知りたがる「健康情報」よりも広く長い。ぼくたちが健康情報を咀嚼する時に、こういった研究のあり方を知っておくことは大いに意味がありそうだ。今回のシリーズでは今村さんの研究の「風合い」を知ることをひとつの焦点にしていこう。

一応、確認しておくと、糖尿病は、膵臓から出るホルモンであるインスリンが十分に分泌されず、あるいは働くことができず、血液中のブドウ糖(グルコース)の濃度、つまり血糖値が高いままになってしまう病気だ。

ブドウ糖はぼくたちが生きていくための、いわば「燃料」になる必要不可欠なものだ。インスリンが働かずブドウ糖が血中に留まって細胞に入っていきにくくなるので、細胞が「飢餓状態」になってしまう。また、血中のブドウ糖濃度が高止まりし続けると、血管の細胞のタンパク質や脂質と結合するなどしてダメージを与えてしまう。「燃料」だけに、反応性が高いのだというふうにぼくは理解している。しかし、血糖値が高いだけでは自覚症状にとぼしいのが問題で、昔は合併症が出るまで気づかないこともあった。

合併症には重篤なものが多い。狭心症・心筋梗塞、脳梗塞など直接生命にかかわる疾患の他、腎症で透析が必要な状態になったり、認知症のリスクを上げたりもする。1964年生まれのぼくの子ども時代、近所で糖尿病由来の極端な血行障害から両足が壊死して切断を余儀なくされた人がいた。その後、別の知人が眼底出血を繰り返し失明したこともあった。それぞれ糖尿病足病変、糖尿病網膜症、といった病名があることを後で知った。子どもながらに非常に衝撃的な出来事だった。