日経ナショナル ジオグラフィック社

ペストが容易に広がってしまうのは、ネズミが人間の生活に引き付けられるからである。特に、納屋、製粉場、家庭にストックされている食料は、ネズミにとって魅力的だった。

ペスト菌が人々の家庭に忍び込むと、16~23日後になってようやく最初の症状が出る。症状が出て3~5日後には患者は死亡する。コミュニティーが危険に気づくのはさらに1週間後で、その頃にはもう手遅れだ。ペスト菌は患者のリンパ節に移行し、腫れ上がらせる。患者は嘔吐し、頭痛に苦しみ、高熱によりガタガタと震え、せん妄状態になる。

ペスト患者の首を締める死神。プラハの14世紀の写本より(W. FORMAN/SCALA, FLORENCE

リンパ節が腫れ上がるペストは「腺ペスト」と呼ばれる。しかし、これはペストの3つの病型のなかの最も一般的なものにすぎない。第2の病型である敗血症性ペストはペスト菌が血液中に入ったもので、皮膚の下に黒い斑点が現れ、おそらく「黒死病(Black Death)」という名前の由来となった。肺ペストでは呼吸器系がおかされ、患者は激しく咳き込むので、飛沫感染しやすい。中世には敗血症性ペストと肺ペストの致死率は100%だったと言われる。

「すぐに逃げろ」が拡散を助長

黒死病がヨーロッパのすみずみまで広がったきっかけは地中海沿岸の港と考えられているが、最初の大流行は黒海沿岸のクリミア半島の港町だった可能性がある。ジェノバの植民都市だったカッファ(現在のフェオドシヤ)だ。カッファは1346年にモンゴル軍に包囲されたが、当時、モンゴル軍の内部では黒死病が広まっていた。

カッファで流行したのは、モンゴル軍が黒死病で死んだ兵士の遺体をカッファの城壁内に投げ込んだためという言い伝えがある。実際には、モンゴル軍の戦列の間をうろちょろするネズミにたかっていたノミが市内にペスト菌を持ち込んだ可能性のほうが高い。市内に疫病が入ったことに気づいたジェノバの商人たちは大慌てでイタリアに逃げ帰ったが、一緒に疫病も持ち帰ってしまった。

黒死病がこれほど速く、広大な領域に広まったのはなぜか、歴史学者も科学者も不思議に思っていた。「これだけ速く広まったのは飛沫感染したからであり、主な病型は腺ペストではなく肺ペストだった」と主張する研究者もいる。しかし、肺ペストはむしろゆっくり広がる。患者はすぐ死に至り、多くの人に広めるほど生きられないからだ。

大半の証拠は、黒死病の主な病型は腺ペストであること、ノミだらけのネズミや旅人が船に乗ることで遠くまで広めたことを示している。海上貿易が拡大していったこの時代、食料や日用品は、国から国へと、どんどん長い距離を運ばれるようになっていた。これらと一緒に、ネズミや細菌も1日に38キロのペースで広まっていった。

交易路を介して、最初に感染が広まったのは大きな商業都市だった。そこから近隣の町や村へと放散し、さらに田舎へと広がった。中世の主な巡礼路も黒死病を運び、各地の聖地は、地域内、国内、国家間の伝染の中心地になった。

非常に寒冷で乾燥した地域では拡大はゆっくりになり、ついには足を止めた。おかげでアイスランドとフィンランドはほとんど影響を受けなかった。

プラハはボヘミア王国の首都だった。ボヘミア王国は南のバイエルン公国から広がってきた黒死病に苦しめられた(PHOTOGRAPH BY RAINER MIRAU/AGE FOTOSTOCK)

当時の町では「すぐに逃げろ、急いで遠くに行け、戻るのはあとにするほどよい」と言われていた。この助言にしたがって避難する余裕がある人々の多くが田舎に逃げたため、悲惨な結果になった。避難した人々もすでに感染していたり、感染者と一緒に旅をしたりしたため、自分たちが助からなかったばかりか、それまで感染者がいなかった遠隔地の村に病気を持ち込むことになってしまったのだ。

各地で社会が崩壊、そして

黒死病の犠牲者は膨大な数に上ったと推定されているが、具体的な数字については論争がある。パンデミック前のヨーロッパの人口は約7500万人だったが、1347年から1351年までの間に激減して5000万人になったと見積もられている。死亡率はもっと高かったと見る研究者もいる。

人口が激減したのは、黒死病に罹患した人々が死亡しただけでなく、畑や家畜や家族の世話をする人がいなくなり、広い範囲で社会が崩壊したからである。中世のパンデミックが終わったあとも小規模な流行は続き、ヨーロッパの人口はなかなか回復しなかった。人口増加が軌道にのってきたのは16世紀頃である。

大災害の影響は生活のあらゆる領域に及んだ。パンデミック後の数十年間は労働力不足により賃金が高騰した。かつての肥沃な農地の多くが牧場になり、村が丸ごと打ち捨てられることもあった。英国だけで1000近い村が消えた。地方から都市に向かって大規模な移住が起きたため、都市は比較的速やかに回復し、商業は活気を取り戻した。田舎に残った農民は遊休地を手に入れ、土地を持つ農民の権力が増し、農村経済が活性化した。

実際、歴史学者たちは、黒死病から新しい機会や創造性や富が生まれ、そこからルネサンスの芸術や文化や概念が開花し、近代ヨーロッパが始まったと主張している。

次ページでも、当時の欧州に暮らした人々が、どうこの疫病と向き合ったのかがうかがえる絵画をご覧いただきたい。

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