手品師・マギー審司さん 怖い父、誕生日に驚きの演出
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は手品師のマギー審司さんだ。
――宮城県気仙沼市で電気店を営むお父様はすごく怖かったとか。
「家族の中では父は絶対です。僕は3人兄弟の真ん中。やんちゃだったので厳しくされた印象が強いですね。兄とけんかしては正座させられ、大声で叱られてビクッ。でも嫌いにならなかったのは愛情があったからかな。とにかく家族の時間を大切にする人。朝ご飯は必ずみんなで食卓を囲んでいたし、自営業だったのもあり子どもの予定に合わせて動いてくれました」
「子どもがどうしたら喜ぶかも最大限考えてくれました。誕生日プレゼントに携帯ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』が欲しかったんです。父がくれたのは大きな箱。『ダメだったか。別のおもちゃかな』と思って開けると、ポケットティッシュがびっしり。ショックですよね」
「すると父は『ちゃんと見てみろ』。かき分けたら、中からゲーム&ウオッチが出てきて大喜び。感情の波を作ってくるんですよ。口もうまいんです。思えばマギー司郎師匠のネタもそう。メリハリなんですよね。結局、父の存在が僕の進む道を作ってくれたのかもしれません。父は兄弟みんなに電気店をやらせるのが夢だったみたいですけど」
――手品に興味を持つきっかけはお母様だった。
「亭主関白の父を我慢強く支えたのが亡き母です。僕が小学生のとき、その母が買ってくれた手品用トランプで好きになりました。もともと家業を継ぐつもりでしたが、外から日本を見る経験をするのもいいと父の知人のすし店のご主人に勧められ、高校卒業後に米国に渡りました。そこでプロのマジシャンに偶然会い、腕を磨いたんです」
――そしてマギー一門へ。
「帰国後、素人としてテレビに出演して楽しいと思ったんです。憧れの師匠に、親に内緒で弟子入り志願のはがきを書きました。すると師匠から『会ってみる?』と電話。上京して会う前にアパートまで決めてしまいました。意欲満々でキラキラしていた僕にダメとは言いにくかったんでしょう。父は『いつでも帰るところはある。やりたいことをやってこい』」
「母も『食べるのに困ったら言いなさい』と。お金のない生活でしたが、母が送ってくれた録画用のビデオテープの中に1万円札が入っていて。『過保護はやめて』と口では言うんですが、探しちゃう自分がいました。親子だからこその関係なんですかね」
――ご実家は東日本大震災での被害もあった。
「父は『こっちは大丈夫だから、自分のことを頑張れ』と。一言もつらいとは言わず、僕が行くと分かった途端、心配かけないためか家をきれいに片付けてしまっていた。母もそんな父を尊敬していたと思います。自分も尊敬される父親になりたいですね」
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