拳闘→デザイン→世界放浪 たどり着いた次世代車いすWHILL 最高経営責任者(CEO) 杉江理氏(上)

腑に落ちた一喝 起業を決意

「夢だけを見させるのがどれだけ残酷なことか、分かっているのか」。自身も事故が原因で車いすを使っていた石井氏から返ってきたのは、強い叱責の言葉だった。

モーターショーのような場で発表されるコンセプトカーはあくまで「未来の“夢”の車」で、市販されないことも少なくない。しかし、日々の暮らしを支える車いすの進化を待ち望むユーザーにとって、必要なのは“夢”ではなく、実際に使える製品だ。厳しくも思いのこもった言葉は「ストンと腑(ふ)に落ちた」(杉江氏)という。今までにない車いすを開発するだけでは十分ではない。それを必要とする人のところへ届けるところまでをやり切る。自分たちが取り組むべきミッションが定まった瞬間だった。

プロトタイプの発表から5カ月余りの12年5月、内藤氏、福岡氏と3人で会社を設立。SSGのあった町田のアパートにオフィスを構え、プロトタイプを実用化するための仕様を日夜、考えた。木や発泡スチロールでモデルを作ってデザインを練り上げ、試作機を作っては課題を発見して改善することを繰り返した。

翌13年には米シリコンバレーに進出した。「世界を相手にすると言わない限り、マーケットが小さく、資金調達できない。選択の余地はなかった」と杉江氏は理由を説明する。製品化のメドも立たない状況で、いきなり海外に乗り込むのは、かなり大胆な行動だ。本人は当時の苦労について「最初の5年間は『何とか生き延びているね』という感じでした。ベンチャーって本質的にはこういうものでは」と、こともなげに語る。資金調達に成功するまでは生活費が1日に2ドルというギリギリの状態だったこともあったそうだ。

会社設立や資金調達のノウハウも不十分なまま、ミッションにつき動かされるかのように起業したと振り返る

創業から2年余りの14年9月に「WHILL Model A」の発売にこぎつけたが、それまでは当然、売り上げはゼロ。それでも「やっていけるかどうかなんかは、特に考えなかった。考えていたのはどうすればいいものを作り、届けられるかだけ」という。「どうしても実現したい目標の前で、やる必要があることは全部やる」という行動原理を貫いた末、次世代の電動車いすが“夢”からリアルになった。

「そのときにやりたいことをやってきただけ」。自身のキャリアをこう振り返る。だが、生活や将来の不安も考えず、一心不乱に打ち込めるものに出合える人はそういない。杉江氏本人も、まっすぐにこの道にたどり着いたわけではなかった。

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