食堂よ、コロナに負けるな 列島彩る食文化の宝庫
かれこれ10年前、四国のある町の商店街を歩いた。店はどこも閉まって久しいらしく「テナント募集」の張り紙さえも半ばはがれて、シャッター通りを吹き抜ける風に揺れていた。
人けのない商店街で1軒だけ明かりをともしている店があった。それは大衆食堂だった。店の前のガラスケースに並ぶ食品サンプルに、懐かしさがこみ上げてきた。チキンライスがある。焼きめしがある。ハムエッグがある。
店内は昼時を少し過ぎていたのに、中高年の客でほぼ満席だった。それぞれの好物を前に、幸せそうに箸を動かしている。あのときは確か、オムライスを注文した。
旅先で食堂に代表される地元の小規模飲食店を探してはのれんをくぐってきた。壁に並ぶメニュー札を見るのは楽しい。その土地の名物料理が見つかる。店の看板料理は、多くの客が食べているので一目でわかる。そしてお国言葉がしみじみと心に染みる。
そんな各地の飲食店が、新型コロナ禍の直撃を受けて存続の危機にあるのではないか。それが心配だ。今後、新たな感染者数が減るにしても急カーブの減少ではなく、しばらくは増減を繰り返すだろう。そして国民の警戒心が一気に緩むとも思えない。全国的な終息が見えてこない限り人々は旅行や外出を控えるだろうし、売り上げの激減に見舞われた飲食店の苦境は続く。中でも常連に支えられた家族経営の店や観光地の店は厳しいに違いない。
ご当地グルメというのは土地土地の固有の食文化であり地域資源だ。それを生み出し、育て、守ってきたのが食堂やそば・うどんの店、町の中華料理店だった。だからそんな店の衰退は、慣れ親しんだ食べる楽しみが失われることにつながりかねない。
日本の食文化は美しいモザイク模様のように列島を彩っている。食堂の定番であるカツ丼を例に取ろう。メニューに「カツ丼」と書かれていても、場所や店によって全く違うものが運ばれてくる。日本中のカツ丼を食べて分類し、地域差を調べている日本食文化観光推進機構専務理事の俵慎一氏によると、ニッポンのカツ丼はおおむねこのようになっている。
全国共通のカツ丼は卵とじタイプだが、福島県の会津地方はソースカツ丼の町だし、福井市と敦賀市も古くからそうだ。長野県の南信地方も駒ケ根市を中心に、強力なソースカツ丼文化が根を張っている。それに群馬県南部が加わる。
中京地区では味噌カツ丼が広く好まれている。隣の岐阜県には溶き卵のあんをかけたような、個性的なカツ丼が存在する。新潟県は卵を使わず、カツをたれにくぐらせた「たれカツ丼」が主流。その新潟県でも長岡市の「洋風カツ丼」は孤塁を守っている。岡山市周辺は「デミカツ丼」だ。沖縄では卵を絡めた野菜炒めが加わる。
記者にも忘れられない体験がある。山梨県甲府市の店でカツ丼を頼んだら、ご飯の上には味付けしていないトンカツがあり、刻みキャベツ、トマト、キュウリが添えられていた。カツライスの皿の中身を丼に移したようなもので、これが本来の甲府のカツ丼なのだと、店主は胸を張った。好みでソースか醤油をかけて食べる。
しかし卵とじカツ丼しか知らない観光客との間で摩擦を呼ぶことが少なくなかった。「このどこがカツ丼なのだ」「どうして味がついていないのか」「卵を忘れたのか」と。いまは卵とじタイプを「上カツ丼」とか「煮カツ丼」と呼び分けている。
俵氏によると、多くの日本人が食べている卵とじタイプでも、細かく見ると東日本と九州ではトンカツと溶き卵を一緒に煮るのに対し、中京から関西、中四国ではご飯にカツをのせ、上から卵をかけるタイプが主流という。ソースカツ丼もキャベツを添える地域と添えない地域がある。そういえば、会津若松市で食べたカツ丼は見た目は普通の卵とじなのに、口に入れるとソース味だった。驚きながら不思議なおいしさに箸が止まらなかった。
カツ丼だけでもこれだけの地域差があり、それぞれの店ごとにアレンジが施される。ラーメンも地方によってスープ、麺、具材が異なる。うどん・そばも地域性を反映する。関西の大衆食堂で肉じゃがを注文すれば肉は必ず牛肉だ。サバの味噌煮はないが、醤油とみりんで味付けした煮サバならある。
コロナ禍が落ち着いたら、また旅に出ようと思う。そのころ各地の食文化の宝庫である食堂はどうなっているだろうか。返す返すも心配だ。
(野瀬泰申)
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