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古代「史記」 偉人の出世学

2020/5/10

古代「史記」 偉人の出世学

この一件をはじまりとして、項羽と劉邦の華やかな、あるいは泥沼の攻防が始まりました。その詳しい経過は多くの文芸作品になっていますので割愛しますが、とにかく秦を滅ぼす共通の目標を掲げていた両者は、秦の都・咸陽(かんよう)を先に落とした方が、その地の王となる約束をして競い合います。ここで先行したのが劉邦でした。怒った項羽は約束を踏みにじり、劉邦を攻めようとします。武力は項羽が圧倒的に優勢でした。

老軍師が小僧よばわり

あわてた劉邦は少人数で項羽の陣に出向き、恭順を誓います。いわゆる「鴻門(こうもん)の会」です。ここが運命の大きな分岐点になりました。

すでに叔父の項梁は戦死しており、項羽が信頼できる人物は范増(はんぞう)という70歳を過ぎた老軍師だけでした。范増は項羽に「劉邦の身辺にはオーラが立ちのぼり、五色に輝いているという。これは天子の『気』だ」と伝え「急に撃ちて、失うことなかれ(すぐに討ち取り、取り逃がしてはいけない)」と忠告していました。
 項羽はこの大事なひと言を十分に理解していなかったのでしょう。平身低頭の劉邦をあまりとがめず、その配下の豪傑ぶりに感心しきりです。劉邦は用を足すと席を立ったまま戻らず、うまく逃げおおせました。
 劉邦を逃がしたことを知った范増は嘆息します。
  ああ豎子(じゅし)、与(とも)に謀るに足らず。項王の天下を奪はん者は、必ず沛公(はいこう)なり。
 ああ、こんな小僧と一緒にはかりごとはできない。項羽の天下を奪うのは沛公(=劉邦)に違いない――。小僧よばわりされたのはそばにいる項羽です。范増は項羽のイエスマンではありませんでした。
 劉邦側は、戦闘以外は欠点が目立つ項羽をカバーできるのは范増とみていました。後に、范増と裏で手を結んでいるとみせかける芝居を打ち、項羽が范増に疑いの目を向けるよう仕向けます。身に覚えのない范増は自ら去り、病を得て死にます。

項羽は戦う相手や自分たちを見下す者を容赦することはありませんでした。しかし戦闘を離れると、まるで優柔不断でした。相手にペコペコされると、それが見せかけのものであっても、受け入れてしまう。没落したとはいえ貴族の出であった彼は、黙って座れば酒も料理も自然に出て来るものと思っていたようなところがある気がします。

ひとつの才能に恵まれ、そのために自信過剰な人物は、その他のことになると極端に判断が甘くなるものかもしれません。それでも24歳で挙兵し、わずか数年で天下に号令する大出世を遂げた若き偉丈夫は、とくに若い部下から見れば憧れの英雄だったでしょう。はじめ8千の子弟を託されたと書かれていますが、少年兵のような彼らに項羽は温かく接していたと思われます。

范増を失った項羽の人生は破滅に向かって進み始めます。次回は項羽が敗れてゆく模様、そして虞美人との悲しい結末を書きたいと思います。

吉岡和夫
1939年(昭和14年)千葉県生まれ。横浜国大経済卒。東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に30年間勤務。書家の古谷蒼韻氏に師事。雅号は「泰山」。中国「司馬遷史記博物館」(2016年開館)の顧問も務める。著書に『史記を書く』(1996年)、『毒舌と名言の人間学』(2005年)など。名古屋市在住。

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