南極観測隊の料理人の知恵 外出自粛下の買い物と料理
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、通勤自粛や休校で家族全員が自宅で過ごしているご家庭も多いだろう。飲食店の営業自粛により「外食できない」「買い物の外出も最小限にしたい」など、さまざまな「制限」がある中で毎日3度の食事作りがストレスになる人もいると聞く。「制限がある」といえば、その最たるもののひとつが「南極地域観測隊」ではないだろうか。天文や気象、地質、生物学の観測を行うために情報・システム研究機構 国立極地研究所が南極に派遣する調査隊のことだ。
南極では「食材切らしちゃったから、ちょっとスーパーへ」「作るの面倒くさいから今日は外食!」ということができない。そこには食材の選び方、保存や調理の英知が詰まっている。たとえば、葉ものの野菜も「あるもの」を塗って新聞紙で包んで冷蔵すれば日持ちする、保存がきく料理は年に1度食べる「あの料理」をイメージせよ、など。こうしたテクニックのほか、閉塞的な状況下で食を楽しみながらメンタルヘルスを維持するヒントを紹介しよう。
話をうかがったのは、第48次南極観測隊越冬シェフで、現在スマホアプリの開発運営をするIT企業ココネ(東京・世田谷)で専属シェフを務める島田剛さん。
同社はGreat Place to Work Institute Japanが実践する日本における「働きがいのある会社」ランキングのベストカンパニーに3年連続で選出されている。その理由の一つが手厚い福利厚生で、その中心に社員食堂がある。調理スタッフは外注ではなく直接雇用の社内チームで、社員1人ひとりのアレルギーや苦手なものを把握し対応しているという。
ここを統括するのが島田さんで、食材の選別、使い切りの工夫などは南極での経験が生きている。現在は社員の多くが在宅ワークとなっており、社員が家庭で作る食事の困りごとや悩みに関しても相談に乗っているとのこと。
まずは島田さんに南極観測越冬シェフの任務について聞いた。
「南極地域観測事業が始まって50周年にあたる2007年の2月1日から翌年の1月31日まで越冬任務に当たっていました。48次隊の越冬隊員は35人で、2人の調理担当隊員が朝昼晩の食事と夜食を作ります。それに加え、各隊員の誕生月の祝い、それと正月やバレンタイン、ひな祭りなど季節の行事と、月に2回のイベントの食事もあります。極寒の地で娯楽もない場所に1年間いるのですから、見た目や味はもちろん、季節感やイベント性を感じる楽しい時間を提供するのがシェフの任務でした」
食料の調達は一度きり。前年の7月から仕入れ準備を行ない、11月には調達した食料を海上自衛隊の保有する砕氷船「しらせ」に積み込む。隊員は12月に飛行機でオーストラリア・パース入りし、フリーマントル港で「しらせ」に合流。途中、フリーマントルでも乳製品や酒、生鮮食品を買い足し、12月下旬に昭和基地到着。そのとき持ち込んだ食材で隊員たちの1年の食事をまかなう(野菜は基地内で水耕栽培もしている)。
「用意した食材は1人当たり年間目安1トン+予備食300キロ、種類にして1580品目です。食材の内訳は肉・魚・野菜などの冷凍物が50%、コメ・調味料・缶詰などを含む乾物が20%、生鮮食品が15%、アルコール含む飲料が15%。持っていった食材はすべて使い切るのが基本で、足らなくてもダメ、余ってもダメなんです」
この状況下どんな食材を買えばよいか、食品をどう保存すればよいかを尋ねてみた。すると、「個人的には大量買いは控えめにした方がいいと思いますが」と前置きしながらも、以下のようなアドバイスをいただいた。
「日持ちする野菜なら、タマネギ・ニンジン・ダイコン・ジャガイモ・ゴボウ・カボチャ・サツマイモなど。レタスやキャベツなどは南極では切り口に灰をまぶしてから新聞紙に包んで冷蔵庫に入れることにより日持ちさせていました。灰でなくても小麦粉や片栗粉でもいいです。ただ、葉ものはここまでして保存するよりも、おいしいうちに消費すべきかと思います」
「切り口に灰」はこうすることで野菜から水分が蒸発するのを防げるからとのこと。
「肉類は火を入れて冷凍すればよいでしょう。煮込み料理は大量に作れてストックがききます。魚は基本的に足が早い食品ですが、西京漬けやみりん漬け、麹(こうじ)漬けなどにしてから冷凍することで日持ちさせることができます」
冷凍する際には「真空パック」にすることでおいしい状態がより長持ちする。
「南極昭和基地の厨房では真空パックにする機械があり、重宝していました。お持ちでないご家庭ではビニール袋に食材を入れて水の中に沈めて、袋の口をしばると真空に近くなります」
水の中に沈めるのは水圧で袋の中の空気が抜けるため。食品に空気が触れない真空状態にすることで、食品の酸化や乾燥、いわゆる「冷凍焼け」を防ぐことができる。
「日持ちするメニューを作るなら、砂糖やハチミツなどの甘味や酢が入っているものがお薦めです。なますや煮物など、おせち料理を思い出していただければと思います。あと、酢を使った料理にピクルスがありますが、ミョウガやタケノコ、ウズラの卵などで作ってもおいしいです」と島田さん。
念を押すが、以上のアドバイスは「食料の買いだめ」を推奨するものではない。東京都の小池百合子知事は「買い物は3日に1度程度に」と要請している。が、家族の人数や冷蔵庫の大きさ、車のある・なしによっても買い物の適正な頻度は変わってくるだろう。
ただ、スーパーでの滞在時間が短くなれば感染のリスクも少なくなるのは確か。あらかじめ作るメニューを決め、購入するものをリストアップしておけば買い物時間は短くなる。メニュー決めの際には是非これらのアドバイスを参考にしていただきたい。
ほかにも、南極での生活にはさまざまな知恵やヒントが詰まっていた。例えば、当時の昭和基地での人気メニューを聞いたところ、「すき焼き」「土曜日のラーメン」「金曜日のカレー」「生卵かけごはん」などが挙がった。
「すき焼きは、浅草の老舗のお店に割り下をいただいて、のれんをお借りしました。のれんを食堂にかけて、その老舗すき焼き店の南極支店ということで、牛肉食べ放題のイベントを3回ほどやりました。隊員から大好評でしたね」
そういえば先日、外出自粛で外に飲みに行けない夫のために妻が手作り居酒屋メニューを書いて「自宅居酒屋」をしてくれたというツイッターが話題となった。こうして家でお店屋さんごっこをするのも楽しいかもしれない。
それと、南極恒例行事に「流しそうめん」がある。これは氷山に溝を掘ってそうめんを流すというダイナミックなもの。
「実はこのとき、すでにそうめんを使いすぎてしまい、代用でそばを流しました。結果的には、白いそうめんよりもそばのほうが見えやすくてよかったようです。どんなときでも目線を少し変えて作るのも面白いものです」
食にイベント性や遊び心を持たせること、どんな状況でも楽しむことはこの閉塞的な状況下でメンタルヘルスを保つ重要なポイントといえるだろう。
また、在宅ワークで平日も週末も関係なく家にいることで「曜日感覚がなくなる」という話もよく聞く。これも南極観測隊のように「金曜日はカレーの日」「土曜日はラーメンの日」などと決めておくといいかもしれない。金曜日のカレーはもともと海上自衛隊の習慣で、南極観測隊にも引き継がれているようだ。
それと、南極に到着したばかりの12月は太陽が沈まず、体内時計が狂いがちという。それを正しくセットするために「必ず朝食は摂るよう、隊員に言っていました」と島田さん。食は栄養摂取やコミュニケーションツールだけではなく、曜日感覚や体内時計を調整する重要な役割もあるのだと改めて気づいた。
観測船「しらせ」でも昭和基地でも激しいブリザードのときなどは艦長や隊長から「外出禁止令」が出ることもあったという。そのようなときには「隊員たちはそれぞれ普段では出来ないことをしていました。たとえば筋力トレーニング・作詩・読書などです。このような時だからこそ今まで手を出さなかったことにチャレンジするのもよいのではないでしょうか。現在の職場、ココネの社員にも普段作らないような料理を作るようにアドバイスしています」(島田さん)とのこと。
また、「食は楽しんで作らなければ食べる側も楽しめない」というのが島田さんの持論。外出自粛中のストレスや心身の不調を料理を楽しむことで解消しつつ、作るのがつらくなってきたときには無理せず飲食店のテークアウトやデリバリーを利用してみよう。
(ライター 柏木珠希)
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