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ダイヤ精機の諏訪貴子社長

ダイヤ精機の諏訪貴子社長

中小製造業が集まる東京都大田区にある精密金属加工のダイヤ精機。24人の従業員を抱える経営者の諏訪貴子さんは、2004年に創業者の父親の後を継いで、32歳の若さで社長に就任、2008年のリーマン・ショックなどの経営危機を乗り越えてきた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で中小企業を取り巻く事業環境が厳しさを増すなか、著書「町工場の娘」で知られる諏訪さんに現在の経営状況や危機の対処法などを聞いた。

◇  ◇  ◇

「リーマン・ショックで09年に赤字に陥った。しかし、それを教訓に自動車部品の受注生産から、『ゲージ』と呼ばれる精密測定機器の開発・製造にシフトし、それが今も奏功している」と諏訪さんは話す。ダイヤ精機の取引先は日産自動車など自動車大手や部品メーカー。新型コロナの影響で世界的に需要が落ち込むなか、いずれの自動車大手も減産や生産調整を進めている。ただコロナ後をにらみ、開発投資の手は緩めていない。

「確かにコロナの影響で部品の受注生産は厳しいが、ゲージのおかげでそれほど大きなマイナスになっていない」。実際、ダイヤ精機の3つの工場はいずれも操業を止めていない。リーマン後にゲージの開発・生産から撤退したメーカーが相次いだが、「赤字を垂れ流しながら、新しい機械を導入してゲージ技術を磨いた」。おかげで大手メーカーに頼られる存在になった。

1964年設立のダイヤ精機は度々経営難に見舞われた。70年代のオイルショック、90年代後半は大口顧客の日産が経営危機に陥った。当時は日産グループに売り上げの約9割を依存していた。04年に父親が亡くなり、経営者になってからは、ベテラン社員のリストラなど経営改革を断行。一方で若手社員の育成やITを活用した生産性の向上、経営資源の再配分を進め、リーマン・ショックも乗り切った。

諏訪さんは「経営者の仕事は常に5年先、10年先をにらみ、リスクを分散すること。リーマンの経験から1年は経営が持ちこたえられる体制を整えた。もうかったからと、銀座で散財したり、高級車を乗り回したりするようではダメだ」と話す。19年は増収増益だったが、内部留保も厚くした。「社員は足元を見るのが精いっぱいだろうが、経営者は先を見て、次々新しい手を打たないと」と語る。

実はIT企業も起業し、中小製造業向けのコミュニケーションツール「Lista(リスタ)」を開発、提供を始めている。「司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』に触発され、(無私の気持ちで活躍した坂本竜馬のように)私も日本のため、中小製造業者のためと格安でソフトを提供しているので、あまりもうけにはなっていない」という。ただ、自社の3工場にも導入、「1つの画面で3工場の各工程の状況などを一覧できるので、私も各工場を回らずにすむようになった。結果として、新型コロナの感染予防にもつながった」と苦笑いする。

日本のものづくりを支えてきた東京・大田の中小製造業者。「コロナ不況で仕事がない」と嘆く経営者は少なくない。諏訪さんは「社員が不安になるので、暗い顔は禁物。いつも笑顔でいないと」と忠告する。親子2代で数々の経営危機を体験し、乗り越えてきた諏訪さん。「危機があるから今がある」と笑顔で話す。

諏訪貴子
1971年生まれ、東京都大田区出身。95年成蹊大学工学部卒業後、大手自動車部品メーカーに入社。エンジニアとして勤務した後、出産などにより退職。先代社長の急逝で社長に。2004年から現職。著書にテレビドラマ化された「町工場の娘」(日経BP)などがある。

(代慶達也)

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