いわくつき父のそばめし、正体は 山田ルイ53世さん
食の履歴書
「ルネッサーンス!」でおなじみのお笑いコンビ、髭(ひげ)男爵の山田ルイ53世さん(45)は中学2年生の夏から6年間、引きこもりだった。「人生が余ってしまった」という思いを抱きながら過ごしたその頃の、忘れない味がある。父が作る、そばめしだ。いわくつきの。
「そばめし作ったるわ。知ってるか、そばめしというのを?」
ある日、父が急に言い出した。引きこもりの日常は昼夜逆転。夜中、家族が寝静まってから、冷蔵庫の食べ物を盗んで部屋で食べる毎日だったから、忘れもしない。
ごはんと焼きそばをいためた神戸発祥のB級グルメ。ちょうどはやりだした時期で「見たことなかったし、コメとそばが混然となって、なんて斬新なと。おいしい、おいしいって食べた」。久しぶりにテンションが上がった。
公務員の父は頑固で厳しかった。不登校が始まった初日、ベッドから出られずにいたら、思い切りドロップキックをくらった。もちろん普段の父は料理をすることもなかった。「そんなおやじが自ら手料理をふるまってくれて、うれしかった」
成績がよく、サッカー部のレギュラーで、児童会長にも選ばれる小学生だった。中学受験で地元の名門中学に合格すると、通っていた塾の先生が、「『君も山田くんになれる』っていうビラまいた」ほどだ。
当時の好物は母の手作りの玄米パン。本当に玄米でできていたのか定かではないが、こねている様子を横で見ていた記憶がある。焼くと、外はカリカリ。中は「もちもちってよく言うけど、餅そのものなんですよ食感が」。
母がこだわった食育
母はある時期まで食育にこだわっていた。おやつは、いりこや煮干し。ごはんは玄米で、煮干しや昆布、酢大豆などの定番が重なると「晩メシが縄文時代の五穀豊穣(ほうじょう)のお供え物みたいだった」。
そんなこだわりの食卓が一変する。中学2年生の夏のことだ。
「おそらく、その前の晩に食べたこだわりの牡蠣(かき)フライのせいだと思うんですけど」。通学途中におなかを下し漏らしたことをきっかけに、学校に行けなくなった。6年に及ぶ引きこもり生活に入る。兄もグレ、家庭内が荒れ始めると、夕食はカップ麺の日が増えた。
たまに勉強はするが「ほとんど何もしなかった」。生まれてきたのは「人生が余ってしまった」という思いだ。優等生として評価を与えてきた学校の存在が、自分の中でなくなった。人に褒められることに重きをおいて、自分の内側から湧き出る衝動で物事に取り組んだためしがなかった。ただただ目の前の勉強や部活を淡々とするだけ。将来なりたいものなどなかった。
そんなときに、父がふるまったそばめし。「一番覚えている。それほどうまかったんですよね」。鮮烈な記憶に残る、おやじの味。しかしこれをきっかけに目標をみつけ、引きこもりから脱却――となれば美しいが、現実は甘くない。
このそばめしのレシピ、後に父が浮気相手から教わったことが発覚する。「愛人に習ったレシピを家族に披露するって。どんな神経してんねん、ですよ」
でも家で肩身が狭い引きこもりは、父の愛人発覚を利用して立ち回る。時に父の味方をし「分かるよ、晩メシがカップ麺だったらテンション下がるよ、浮気もするわ」。その一方で時に母の味方になり「こんな大変なときに、おやじ、あれはないわなー」と。「うまいこと引きこもるために、おやじ側とおふくろ側をコウモリのように行き来して自分のポジションを確保した」
引きこもりの終了は突然やってきた。テレビで同年齢の人たちの成人式のニュースが目に入り、急に焦ったのだ。検定試験を受け、なんとか大学に入学。お笑いに出合った。上京し、養成所に通った。
2008年、貴族ネタが大ヒットした後は、ご存じの通り「一発屋芸人」として活動の幅を広げている。
「引きこもりは完全に無駄な時間だった。後悔している」。周りはその経験あってこそ今があるのではと意味づけするが、自身はこう言い切る。皆がキラキラした意味のある人生を送れるわけではない。送る必要もない。
今後の目標を聞くと「ないんですよね。どうなりたいとか」。中学生のときと変わらない。ただ、粛々と、とりあえず生きる。目の前のことを受け入れて。父の愛人のレシピさえ。
娘の舌を肥やす刺し身
家族でよく訪れるというのが、東京都目黒区の駒沢通り沿いの「魚ばか106」(電話03・5768・7336)だ。店名の通り、沼津港などから直送されてくる新鮮な魚がウリだ。
人気は「お刺身(さしみ)盛り合わせ」。店主の村上浩一郎さんに量や金額を相談しながら注文できる。村上さんは静岡県出身で、漁師の友人から仕入れているものもあり、「ええお刺し身なんですよ」と山田さんは話す。ただひとつ、心配の種があるそう。小さい頃から一緒に来ている長女が「ぱっくぱっく食べるんですよ。大人になったら困るな、失敗したなと思って」。
酒好きの山田さんのおすすめのアテは、しらすとミョウガのあえ物だ。さらに締めには土鍋で炊いた「鮭(さけ)といくらの親子飯」(時期によるが3千円程度)と、最後まで「全部うまい」という。
【最後の晩餐】 娘の姿を視界に入れつつ、ウイスキーを飲みたいです。ボウモアやグレンフィディックなどモルトウイスキーの「酒!」っていう潔い印象のものが好き。つまみは、奥さんが作ってくれるやつ。居酒屋のおつまみメニューを、家で再現しようとしているんですよ。
(井土聡子)
[NIKKEIプラス1 2020年4月25日付を再構成]
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