口に粘着テープ よみがえる母の虐待、成人後も傷深く
児童虐待にあった人の中には、幼少期の記憶が曖昧だというケースが少なくありません。耐え難いほどの痛みや苦しみを意識から切り離し、暴力をやり過ごそうとする精神の働きのためです。しかし、成人してから封じ込めていた記憶がよみがえり、フラッシュバックなどの症状を起こすことがあります。
サクラさん(45歳、仮名)は40代に入って、母親による虐待を鮮明に思い出しました。「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と診断された上に解離性同一性障害(多重人格)も発症し、一時は日常生活もままならなくなりました。成人した後にも及ぶ児童虐待の深刻な影響について、サクラさんに聞きました。
「いい子ちゃん」演じていた 病気をきっかけに記憶を取り戻す
サクラさんは幼い頃から、母親にたたかれ、叱られて育ちました。母親はサクラさんにはめったに笑顔を見せず、「ママ」と呼び掛けるといつも、厳しい表情で振り返りました。
当時から「この人は鬼で、本当のママじゃないのかも」と空想し、不安を紛らわせていたといいます。しかし、記憶はいつもぼんやりとしており「殴られたこと、怖かったことくらいしか覚えていませんでした」。
成長するにつれ、サクラさんは母親の気に入るような話だけをするようになります。「『いい子ちゃん』を演じ、表面的には『友達親子』のように生きてきました」
しかし40代でメニエール病を発症すると、以前からあった母親の過干渉がさらにひどくなり、サクラさんの自宅を頻繁に訪れるようになります。それがストレスで摂食障害になり精神科を受診すると、医師は言いました。
「あなたの症状には、親子関係が影響しているのではないでしょうか」
カウンセリングを受け始めて、よみがえったのが「粘着テープ」の記憶でした。
「4歳くらいのとき、泣いている私にいら立った母親が、馬乗りになって口を粘着テープで押さえつけたんです。そのとき『これでもう毎日殴られなくなる』と、泣くのをやめました。生きることを諦めたんです」
この時は、突然静かになった娘に驚いた母親がテープをはがし、助かりました。記憶を取り戻した当初は、店で粘着テープを見ると恐怖のあまり足が動かなくなり、その後も長い間、触るたびに「心臓がバクバク」したといいます。
指突っ込まれ喉が血まみれに 日常生活を○×△で評価
同じ頃、動いている洗濯機に入れられたり、母親の指を喉に突っ込まれたりしたこともあります。この時は喉を切って出血が止まらず「何回拭いても、ティッシュが血で真っ赤になりました」。
母親はサクラさんを、かかりつけでない病院へ連れて行きました。医師に「なぜこんな場所を切ったの?」と聞かれても、母親ににらみつけられ「分からない」と答えるのが精いっぱいでした。
受けたのは、身体的な暴力だけではありません。「エリートを育てる」という母親の方針で、布団を畳む、食事を完食する、英語の教材を解くなどのチェック表を作られ、◎、○、△、×で評価されました。◎や○がつくことはめったになく、△や×の時はたたかれました。テストで95点を取っても正座させられ、「見直しをしたのか」と責められます。「2回見直した」と答えれば「2回もしたのに何で間違えたのか」となじられました。
言葉によるダメージも「暴力と同じくらい大きかった」と、サクラさんは言います。叱られ続けたことで、成人してからも失敗を極端に恐れるようになったためです。職場では完璧に仕事をこなそうと絶えず緊張し、同僚のミスも容赦なく指摘するといった時期が長く続きました。
「自己肯定感が低過ぎて『褒められたい、認められたい』という感情すら抱けません。他人とのコミュニケーションもうまく取れなくなってしまいました」
サクラさんが15歳の頃、ラジオで流れた虐待のニュースを聞いて、母親は言いました。
「わが子にそんなことをするなんて、信じられない」
「虐待の自覚がないんだ」と、サクラさんは絶望しました。
「親は虐待の認識もないまま、閉じられた空間の中で暴力を振るう。子どもは親への恐怖心から、他人に打ち明けられない。家庭からSOSを発するのは、本当に難しいのです」
虐待目撃しフラッシュバック 周囲はすべて敵に見えた
治療を始めた頃、サクラさんは駅で父親が男の子を殴る光景を目にし、フラッシュバックを起こしました。
「お父さんが男の子にのしかかった瞬間から、翌日までの記憶がありません」
虐待のニュースを見て、自分が報道されている子ども自身であるかのような感覚に陥ることもありました。
知らないうちに部屋が片付いていたり、不用品が処分されていたりすることもありました。サクラさんの精神が、虐待の記憶を抱えきれず「解離」を引き起こし、複数の人格を生み出していたのです。「効率よく仕事をこなす人格と、虐待を受けた当時のままの人格が生まれ、切り替わっていたんです」
サクラさんは母親に手紙を書き「虐待していたことを謝ってほしい」と求めました。しかし母親は人づてに「覚えていないけれど、あなたが言うならしたかもしれない」「サクラにごめんって言っておいて」というだけで、きちんとした謝罪はありませんでした。
「『私の人生を狂わせておいて何?』と怒りの塊のようになりました。殺したいと思ったこともあります」
「虐待が繰り返される社会を変えなければ」という危機感にも駆り立てられ、自治体や法務局、厚生労働省などさまざまな相談窓口へ被害経験を訴えました。しかしどこへ行っても、はかばかしい反応は得られませんでした。
この頃、身長160センチ台のサクラさんの体重は35キロまで落ち、まともに歩くことすらおぼつかなくなりました。
「一時は周りの人すべてが敵に見え、自暴自棄になりました。もしエネルギーがあったら、誰かを傷付けていたかもしれない。殺傷事件などのニュースも、他人事とは思えません」
親と決別し回復へ いつの時代も虐待は心の傷になる
治療を終えたサクラさんは上京し、母親と絶縁しました。それによって、生きづらさはだいぶ和らいだといいます。
「やっと新天地で再就職し、生活を立て直し始めたところです。母親は許せませんがあまり感情を引きずらず、このまま頑張ろうと思えるようになりました」
フラッシュバックもほとんどなくなり、分裂していた人格もまとまってきたと感じています。昨年1月、千葉県野田市で小学生の女の子が虐待死した事件のニュースを見た時も、解離を起こさず受け止めることができました。
「胸をぎゅっとつかまれるようなつらい気持ちになりましたが、40代の自分が、地続きの子ども時代を振り返りながら見ていました」
自分とは違う価値観を認められるようになり、同僚との世間話や食事会も苦痛ではなくなりました。虐待サバイバー3人で過去の経験を語るユニット「インタナリバティプロジェクト」(インリバ)の活動も始めました。
サクラさんは最近、70代の女性からこんな話を打ち明けられたといいます。
「子どもの頃、食事の時に正座でしびれた足を少しでも動かすと親にたたかれて、お茶わんに涙をこぼしながらご飯を食べたの。今も思い出すと胸が張り裂けそうになって、涙が出る」
昔の子どもたちは、悪さをすればせっかんされて当たり前だと思っていた、今もしつけのために多少たたくのはやむを得ない……。こうした主張は間違っていると、サクラさんは女性の話を聞いて改めて実感しました。
「人として尊重されなければ、いつの時代のどんな子どもも、心に傷を負うのです。インリバの活動を通じて、多くの人にそれを知ってもらいたいと思います」
(取材・文 有馬知子)
[日経DUAL 2020年1月28日付の掲載記事を基に再構成]
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