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京王井の頭線の車窓から、筑駒生が田植えをするケルネル田んぼが見える

京王井の頭線の車窓から、筑駒生が田植えをするケルネル田んぼが見える

都内でも有数の超進学校である筑波大学附属駒場中学校・高等学校(筑駒、東京・世田谷)。都会の学校にもかかわらず、実際の水田で田植えなど稲作実習があるという意外な取り組みも特徴。その由来は学校の成り立ちにさかのぼるという。教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏が訪ねた。

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日本近代農業発祥の地で実習

毎年6月、全身泥んこになった高校生たちが学校に入っていく。なかにはリヤカーを引いている生徒もいる。水田稲作学習の一環で、田植えをしてきた帰りである。学校から徒歩約5分のところに「ケルネル田んぼ」と呼ばれる水田があり、中1と高1が1年間を通して稲作の実習を行う。収穫された米は、卒業式や入学式で赤飯として配られるのが伝統だ。

東京都世田谷区にある筑波大学附属駒場中・高等学校は1学年たった160人であるにもかかわらず、毎年100人前後の東大合格者を出す驚異の進学校として全国にその名を知られている。都会にある超進学校でなぜ水田稲作学習なのか。学校のおいたちに深い関係がある。

「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士は札幌農学校(現在の北海道大学)で米国式の農業技術を日本に伝えた。一方、ドイツ式の農業技術を取り入れたのが駒場農学校であり、1881年にその教師としてオスカー・ケルネルが着任した。駒場農学校の実験田として当時から使用されていたのが「ケルネル田んぼ」であり、日本近代農業発祥の地とも呼ばれている。

東京帝国大学と東京高等師範学校のハイブリッド

さて、そこからがやや、ややこしい。

駒場農学校はのちに帝国大学農科大学、そして東京帝国大学農学部へと発展する。つまり現在の東京大学農学部である。一方、筑駒はもともと、東京農業教育専門学校付属の農業学校として設立されるはずだった。東京農業教育専門学校は東京帝国大学農学部付設の農業教員養成所が独立したもの。しかし戦後の学校制度改正により、1947年に東京農業教育専門学校附属中学校として開校するに至った。要するに、筑駒は東大農学部にルーツをもつ。

49年、東京農業教育専門学校は東京教育大学(現在の筑波大学)に包括される。東京教育大学は戦前の東京高等師範学校を母体としてつくられたもの。つまり東大から生まれた組織が紆余曲折(うよきょくせつ)を経て筑波大へと移管されたわけである。それにともない、52年、東京農業教育専門学校附属中学校は東京教育大学附属駒場中学校・高等学校と校名を変えた。このとき「駒場」が挿入されたのは、大塚にある本家の東京教育大学附属中学校・高等学校と区別するためだ。このころは「教駒」と呼ばれていた。

78年、東京教育大学が筑波大学に移管するのにともない、筑波大学附属駒場中学校・高等学校に改称する。つまり、戦前のトップエリート校、東京帝国大学と東京高等師範学校のハイブリッドが現在の筑駒なのである。ちなみに全国で唯一の国立の男子校である。

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