JILPT理事長・樋口美雄さん 家業から労働に関心
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は労働政策研究・研修機構(JILPT)理事長の樋口美雄さんだ。
――実家は栃木県足利市の織物工場だったそうですね。
「最盛期には40~50人が働いていた工場で、父が経営し、母が従業員のよろず相談から人事面まで面倒を見る中小企業でした。山形県や福島県出身で、中学校を出たばかりのような人も働いていました。絹の着物の胴裏や八掛を織って京都に出荷する、家父長的で、日本的雇用の原点のような会社でした」
「繊維業は作れば作るほど利益が上がる戦後の糸へん景気から、1960年代の日米繊維摩擦を経て衰退します。人手不足下での求人難から、従業員に退職金を払えるうちに会社を閉める選択まで、私は父を通じて一つの産業の盛衰を間近で見たわけです」
――幼少時から労働に関心が向く環境だったのですね。
「父からは従業員をどう育てるか、それでも起きる職場のトラブルをどう解決するかなど、経営の実像を学んだように感じます。当時金の卵と呼ばれた、私とそう年齢の違わない従業員の家庭訪問にいっしょに行ったこともありました。比較的恵まれた環境の私への教育的配慮があったのかもしれません」
「一方、母方には物理学者で、筑波大学教授のおじがいました。小中学校の夏休みに、母の実家でおじと話をしたり研究室を訪ねたりするうちに、論理と実証を重ね、筋道を立てて進む学問の世界に触れ、いつしかそんな生き方に憧れました」
「慶応大学商学部に進学後、私の関心は、最初から雇用労働にありました。サービス経済学の井原哲夫先生のゼミで指導を受け、計量経済学の手法で労働を分析することを楽しいと感じました。そして大学卒業。父の会社を継ぐことにつながる商社への就職か、大学院進学かと考えたとき、『好きな道を選ぶべきだ』と助言をしたのは父でした」
――その後の研究業績を、両親は喜んでいたのでは。
「2001年に『雇用と失業の経済学』でエコノミスト賞を受けたときの授賞式に父を呼びました。『良かった』と喜んでいましたが、一方で息子が自分とは違った世界に生きる遠い存在のように感じたようで、寂しそうにも見えました。父は引退後も地域に対する思い入れは強く、地元でも頼られる存在でした」
「慶応大学の最終講義には、昨年亡くなった母を招きました。『労働経済学・実証経済学の道を歩く』という題目で話をしましたが、母は『美雄が40年間何をやって来たのかやっとわかった』と妻に話していたようです」
「所得格差と技術革新・グローバル化、転職。仕事と生活の調和、地方創生など私の研究テーマには人々の、そして労働者の生活を重視する共通性があります。両親の家業を通して得た社会認識が、背景にあったからかもしれません」
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