臨床重ねて強まった「人を助けたい」の気持ち

大学卒業後に眼科学研究の道へと進んだのは「世界初の発見をしてみせる」との野心からだったという。子供のころから科学が大好きで、科学大国でもある米国で小学校高学年期を過ごしてNASAで宇宙飛行士を目指すほどのめり込んだ。

「科学者が野球やバスケットボールの大スターと同じ『ヒーロー』となれる国がアメリカです。自分も何か歴史に残る発見をしてやるぞと思っていましたね」

臨床経験を重ねるにつれ、「人を助けたい」という気持ちが募った

1991年に慶応大学大学院の医学研究科に進むと「網膜の病気につながる遺伝子を見つける」をテーマに、研究に没頭した。最初は試験管やメスシリンダーを洗うなどの新人ならではの作業から始め、遺伝子に試薬を振りかけては暗室でレントゲンフィルムを現像する地道な作業を4、5年繰り返した。窪田氏は「研究者といえばかっこいいが、実際はパートタイムの眼科医として生活費を稼ぎながら研究していました。見方を変えれば、医師免許を持ったフリーターともいえた」と当時を振り返る。

そんな暮らしを続ける中で、1995年冬にある大発見にたどり着いた。緑内障を引き起こす原因遺伝子を見つけ出したのだ。遺伝子の配列がタンパク質の「ミオシン」に似ていたため、自分が発見した原因遺伝子に「ミオシリン」と名付けて、97年5月に論文として発表した。その後は、緑内障に関連する論文では「Ryo Kubota」と自身の名前が載るようになった。

大学院で研究に多くの時間を投入していた窪田氏は、同僚の臨床医に比べると「手術などの習熟度がまだまだと感じた」。そこで、恩師である教授の推薦を受けて、「手術が数多くこなせる現場」として虎の門病院に移籍した。

眼科は手術が終わった直後から、治療した患部を外から見ることができる。「手術の良しあしは術後の見た目がどれだけ美しいかで決まる」(窪田氏)。きれいに手術するには、切開や接合に関する高い技術だけでなく、血管や神経の場所がどこにあるかなど、解剖学の知識も十分でないと、不要な出血や神経を傷つける事故につながりかねない。

年間に1000件もの手術をこなす病院で働きながら、窪田氏は着実に手術の腕を磨いていった。虎の門病院という、霞が関などに近い場所柄もあり、有力な政治家や官僚から担当医として指名されることも増えていったという。

「臨床医として本格的に働くようになって、『世界に名を残したい』という見栄っ張りな部分がなくなり、心底から人を助けたいと思うようになりました」

ただ、その後は研究か臨床か、どちらの分野に進むか悩んだ。緑内障の原因遺伝子を見つけても、全ての緑内障が治せるわけでもない。かといって、臨床医として働いていても、自分の力では治せない患者もいた。治療法が確立されていないからだ。

「生きているうちに、今は存在しない網膜疾患を治療する方法を何か生み出せないか」

そう考えた窪田氏は、当時、台頭し始めていた再生医療を学ぶため、米国へ渡ることを決意した。小学生の頃に親の転勤でニュージャージー州に住んだことがあり、その生活が自分の人生を一変させた。その米国で、何か新しいことができないか――。

網膜疾患の新しい治療法を見つけ出すという新たな目標を立てた。その最短距離にバイオベンチャーがあるなら「挑戦する価値があると思いました」。

(ライター 三河主門)

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