アラスカの息吹 鮮やかに
アラスカに暮らし、1996年にカムチャツカで熊に襲われ亡くなった写真家の遺稿集。川下りをするため、アラスカ北極圏を流れるシーンジェック川へ。カリブーの大群を追って雄大なブルックス山脈へ。アラスカを巡った旅の記録からは、凍(い)てついた空気と自然の息吹が鮮やかに伝わってくる。
「オーロラ、氷河、クマの親子。カメラのズームイン・ズームアウトを繰り返すような描写にアラスカの情景が目に浮かぶ」(荒木さん)、「厳しい自然環境で生きる人々との交流を通して、人生の豊かさやはかなさを優しいまなざしと言葉でつづった。読後は心が穏やかに」(川田さん)
(1)文春文庫(2)858円(3)1999年
船旅の楽しさと海の偉大さ
水産庁の漁業調査船に船医として乗り込んだ「どくとるマンボウ」こと北杜夫の5カ月半にわたる航海を、ユーモアたっぷりに描いたベストセラー。アジア、ヨーロッパ、アフリカと行く先々で珍事に見舞われる。
「今日の海外旅行は空の旅が主流だが、船旅の楽しさと海の偉大さが語られているのが興味深い」(黒田さん)。「船医として乗組員の健康管理をする立場ながら、彼らをリスペクトする気持ちが文章に表れており、著者の人柄の良さが伝わる」(楓さん)。筆者に本書の執筆を依頼したのは、当時中央公論社の編集者だった宮脇俊三だ。
(1)角川文庫=写真=など(2)616円(同文庫)(3)1960年
異国体験 ヒリつく日々の記録
詩人の金子光晴が、昭和の初めに、妻の森三千代と中国、香港、東南アジアを経てパリですごした日々を自伝に仕立てた。自伝3部作の2作目とされる。
大使館から詐欺師めいた手口で金をせしめるなど、「貧すれば鈍する」を絵に描いたような「ヒリつく日々の記録」に引き込まれる。
「地獄のような2年間を詩人らしい感性と美しい文章でつづった。現代の日本人にはもはや不可能と思える究極の異国体験」(坂本さん)、「最大40年かけて書き残された旅路は、今も読者の心に幻影を醸し出す」(舛谷さん)
(1)中公文庫(2)990円(3)1973年
愁いと寂しさ 誰も気づかぬ美
静岡県の大谷崩や富山県の鳶山(とんびやま)崩れ。山河が土砂崩れなどで崩壊した場所に、「愁い」「寂しさ」など誰も気づかなかった美を見いだした著者の巡礼行。幸田露伴の次女で、花柳界を描いた小説「流れる」などで知られる著者の異端の書だ。
「端正な著者が富士山の大沢崩れなどに異常な興味を持つ心理に魅せられる」(下重さん)、「72歳、体重52キロの小さな作家の前に出現する猛々(たけだけ)しい自然の姿。美しい名調子のテキストにひびを入れるような山崩れの存在が対比的に迫ってくる」(伊藤さん)。1970年代の雑誌連載を91年に本にまとめた。
(1)講談社文庫(2)616円(3)1991年
本の中では自由 想像の翼広げよう
紀行文学の歴史は古い。海外ではマルコ・ポーロの「東方見聞録」(13世紀)、日本では紀貫之の「土佐日記」(10世紀)などが先駆けだ。今回は1960~90年代の名作が上位に並んだ。
日本交通公社が運営する「旅の図書館」(東京・港)の大隅一志副館長は「先入観を持たず、風景や情景を想像しながら著者と旅をしている気分で読むのがお薦め」と話す。コロナ禍で外出自粛が続くが、ランクインした本の多くは電子書籍でも読める。「遠慮なく遠出ができるようになったら、旅の跡をたどるのも楽しい」

現在は休館となっているが、旅の図書館では紀行文学のほか、各国の航空会社の機内誌など旅に関する蔵書6万冊をそろえる。貸し出しはしていないが誰でも無料で閲覧できる。
「旅の本屋のまど」(東京・杉並)は新刊・古書を含めたガイドブックなど約5000冊をそろえる。昨年11月に開業した「TSUTAYA BOOKSTORE渋谷スクランブルスクエア」(東京・渋谷)も旅に関わる2万冊の本を扱う。東京・代官山や函館市の蔦屋書店には旅の本をアドバイスしてくれる「旅コンシェルジュ」がいる。コロナ禍が落ち着いたら訪れてみたい。
窮屈な日々が続くが、本の中では自由だ。想像の翼を広げて、思う存分旅をしよう。
作品名(著者名)。数字は専門家の評価を点数化。(1)文庫・新書名(2)税込み価格(3)発表年(最初の単行本発表時点)。書籍の写真は「旅の図書館」(東京・港)にて三浦秀行撮影。
旅と文学に詳しい専門家に取材し「旅情が味わえる紀行文学」を20作品リストアップ。専門家におすすめを1~10位まで選んでもらい、編集部で集計した。入手しやすい文庫、新書、電子書籍のいずれかがあり、日本人著者が昭和期以降に発表した作品が対象。絶版・重版未定・在庫なしは除外した。(堀聡)
▽荒木左地男(旅行ジャーナリスト)▽荒山正彦(関西学院大学教授)▽伊藤雅崇(ワールド航空サービス「WORLD旅のひろば」編集長)▽大隅一志(旅の図書館副館長)▽楓千里(国学院大学教授)▽川田正和(旅の本屋のまど店長)▽北吉洋一(旅行ライター)▽黒田尚嗣(クラブツーリズム テーマ旅行部顧問)▽坂本幹也(函館蔦屋書店 旅コンシェルジュ)▽下重暁子(作家・日本旅行作家協会会長)▽舛谷鋭(立教大学教授)=敬称略、五十音順
[NIKKEIプラス1 2020年4月11日付]