2020/4/22

「知らないうちに広めうる」ことを証明

ベッドフォード氏の研究室が新型コロナウイルスを追跡し始めたのは、2月から3月にかけてワシントン州で感染者が増えだした頃だった。公衆衛生当局は当時、患者の旅行歴を追跡し、接触した疑いのある人を突き止めることに注力していた。

一方、ベッドフォード氏らは、20人以上の患者の鼻から採取したサンプルを分析し、遺伝子の解読を始めた。新型コロナウイルスがどこで、どのように変化したかを追跡していくと、驚くべき事実が明らかになった。シアトルで最初に感染者が見つかった1月21日以降、何週間もの間、シアトルの人々の間でウイルスがいわばひっそりと培養され続けていたのだ。最初の患者は、中国の武漢を訪れた35歳の人物だった。

別の言い方をすると、軽症で病院にかからなかった人や、検査を受けていなかった人々が、知らないうちに新型コロナウイルスを広めうることが科学的に証明された。この発見から、感染スピードを遅らせる都市封鎖、学校・職場・店舗などの閉鎖、他人と一定の「社会的距離」を保つなどの対策が、世界中で次々と打ち出されることになった。

「ゲノムデータは、ウイルス感染がどのように拡大するかについて、より多くのことを教えてくれます」とベッドフォード氏は話す。

ネクストストレインの可視化ツールは、新型コロナウイルスについて知りたいという市民の欲求も満たしている。そう評価するのは、米カリフォルニア州にあるスクリプス研究所の計算生物学者で、西ナイルウイルスやジカウイルスなど1000種類以上のゲノムデータをネクストストレインに投稿しているクリスチャン・アンダーセン氏だ。

「これまでウイルスの遺伝子系統樹なんて眺めているのは私のようなオタクだけだったのに、今ではツイッター上にあふれかえっています。私がネクストストレインのようなツールを気に入っているのは、こういうところです」と氏は話す。

このサイトのオープンな姿勢も、ゲノムデータをぜひ共有したいと世界中の研究者に思わせる理由の1つになっている。アンダーセン氏の研究室にウイルスのサンプルを送りたいと言ってくる研究者や、解析の方法について助言を求めてくる研究者もいる。「画面に表示されるデータを見て、『うちにも患者がいるから遺伝子解析したい』と言うのです」

データを可視化した図や系統樹は、パンデミックの広がりの全体像を見るには便利だ。だがアンダーセン氏は、たまたまこれらを目にした人々が、背景にある広範なデータを検討せずに何らかの結論に飛びつこうとすることに警鐘を鳴らしている。

実際、ベッドフォード氏もその1人だった。イタリアで確認されたドイツ人感染者のサンプルと、その1カ月前に感染したミュンヘンの患者のサンプルで遺伝子配列データがよく似ていることから、ヨーロッパでのアウトブレイクはドイツから始まったことが示唆される、とする内容をツイッターに投稿したものの、氏はのちに撤回した。

「系統樹はつながりを示唆するものではありますが、欠けているピースが非常に多く、何が起きたのかを説明する方法は複数ありえます」とアンダーセン氏は警告する。

ベッドフォード氏は、検査や症例の監視が十分に行われていない場所では、社会的距離を保持する戦略が有効に機能しているかどうかを検証するうえで、今後も遺伝子データが手がかりになると指摘する。

「感染がどのくらい減少するかがわかり、『規制を緩めてもよいか?』という問いへの答えが得られます」と氏は言う。

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