恋愛映画『弥生、三月』 男女の30年を3月だけで描く
1986年3月1日。曲がったことが嫌いな女子高生の弥生と、サッカーに夢中で打ち込む同級生・太郎が運命的に出会う。互いに引かれながらも、親友・サクラを亡くし、思いを伝えられないまま別々の人生を歩んだ2人。結婚し、子を育て、離婚したり配偶者を失ったりしながら50代を迎えたとき、亡き友・サクラからのメッセージが届く…。映画『弥生、三月-君を愛した30年-』は、『家政婦のミタ』『過保護のカホコ』の脚本家・遊川和彦の監督第2作だ。
「とにかく『今までにないもの』を作りたい、と思いました。同時に考えたのが、ロングスパンの話にすること。ほんの30年前まで、人はケータイもない時代を生きていたのに、今はスマホに操られている。我々はどこに向かうのか? そんな問いかけをしたい気持ちがありました」(遊川氏、以下同)
そして書いたのは、1組の男女の30年を3月だけで描くという斬新なスタイルのラブストーリー。
「3月は卒業式があり、桜が咲いて、震災が起きた月。月の始めはまだ寒いけど、もうじき春が来ると信じて堪え忍ぶという意味でもドラマチックな時期だなと思いました。ラブストーリーにしたのは、間口を広くしたかったから。あと、妻に怒られるかもしれないけど、『恋がしたい』と(笑)。僕の初恋の人は、どんなにいじめがあっても加担しない、公平で真っすぐな人でしたけど、その思いを届けることはできなかった。タイムマシンで戻って、『少年! 好きだと言ったほうがいいぞ』と言いたい気持ちもありました(笑)」
主人公の弥生役は「真っすぐで清らか、芯の強さも感じさせる」と波瑠にオファー。太郎役には「『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』での情けなくも人間味のある芝居が好きだった」、成田凌を起用した。撮影は19年3月から1カ月半にわたり敢行。特に力を入れたのは、2人のエイジングだ。
妥協なく貫いた2作目
「髪型やファッションはもちろん、声のトーンや歩き方などを細かく変えつつ、変わらない芯の部分も表現してほしくて。何度もテイクを重ねて撮影が長引き、波瑠ちゃんにはいろいろ言われました(笑)。成田くんも『今までの作品で一番大変だった』と話していましたね。監督をやっていると、『スケジュールが大変だし』とか『役者の機嫌が悪そうだし』とか妥協しそうになる瞬間があるんですよ。でも、僕も2作目なので、『絶対に後悔しない作品にしよう』と決めていました」
『女王の教室』『同期のサクラ』など遊川作品には信念を曲げずに貫く女性が多く描かれてきたが、本作ではそんな弥生の心が折れ、迷走する姿が印象的だ。そのきっかけになるのは震災。
「震災は、日本人に強烈な記憶を残したし、今も自分を振り返るポイントになっている。でも、その後、何か変わったかというと、そんなに変わってない気がするんです。人間は反省しないんだなと思いつつ、逃げるわけにもいかない。自分にできることは、まずは自分が変わること。もがきながら人生を立て直す弥生たちを見てもらうことで、人が変わるエネルギーを、少しでも与えることができたら」
自身が大きく変わったのは、61歳の時。『恋妻家宮本』(17年)で映画監督デビューを果たした。その創作と挑戦はいつまで続くのか。
「年金積立保険というものに入ってまして(笑)、70歳になったら退職金がたくさん出る。『70になったら辞めようかな』と妻に言ったら、『働け。死ぬまで引退はない』と(笑)。しんどいですけど、70歳になったら、70歳にしかできないものがあるはずだと信じて頑張っていきたいと思っています」
1955年東京都生まれ、広島県育ち。87年に脚本家デビュー。『ママハハ・ブギ』(89年)、『GTO』(98年)、『さとうきび畑の唄』(03年)などを手掛け、06年の『女王の教室』で向田邦子賞を受賞。11年『家政婦のミタ』で視聴率40%を記録。文中以外の近作に『純と愛』(12年)、『偽装の夫婦』(15年)、演出も手掛けた『ハケン占い師アタル』(19年)などがある。
(ライター 泊貴洋)
[日経エンタテインメント! 2020年4月号の記事を再構成]
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