『桜の園』で知ったチェーホフ戯曲の魅力(井上芳雄)第65回

日経エンタテインメント!

井上芳雄です。4月4日に開幕の予定だった『桜の園』は、12日まで公演中止、14日以降は、あらためて状況を判断のうえ、開催を検討することになりました。僕たち俳優やスタッフにとっても、楽しみにしてくれていたお客さまにとっても、とても残念なことですが、今一番大事なのは新型コロナウイルスの感染を広げないこと。それぞれが今できることを精いっぱいやっていくのみです。

『桜の園』の出演者(上段左から)大竹しのぶ、宮沢りえ、井上芳雄(下段左から)黒木華、杉咲花、生瀬勝久 Bunkamuraシアターコクーンで4月4~29日上演予定のところ4~12日は上演中止

『桜の園』は稽古を1カ月半くらい重ねてきました。大竹しのぶさん、宮沢りえさん、黒木華さん、杉咲花さん、山崎一さん、生瀬勝久さんといった、日本を代表する俳優さんが出ています。大作映画が1本撮れそうなくらいの豪華な顔ぶれなので、「みなさん、本当に稽古場に来られてるのですか?」とよく聞かれます。ちゃんと来られています。ミュージカルのにぎやかな稽古場に慣れている僕が驚いたのは、とても静かなこと。チェーホフの戯曲自体が、過度にドラマチックなことが起こらないのもあって、本当に黙々と稽古しています。僕はチェーホフの芝居をやるのが初めて。大きな挑戦です。

チェーホフはロシアを代表する劇作家で、演劇の世界ではシェークスピアと並ぶ天才作家。そのチェーホフの4大戯曲を、KERAさんことケラリーノ・サンドロヴィッチさんが演出されるシリーズ企画「KERA meets CHEKHOV」で、『かもめ』(2013年)、『三人姉妹』(15年)、『ワーニャ伯父さん』(17年)に続く最後の上演が今回の『桜の園』です。19世紀末のロシア、桜の木々に囲まれた没落貴族の屋敷を舞台に、交錯する人々の思いが描かれます。

僕がKERAさんの舞台に初めて出させていただいたのは、17年の『陥没』というオリジナルの新作でした。1963年ごろの東京を舞台に、昭和の東京オリンピックに翻弄される人々の話です。そのときに「この人は天才だ」と感激しました。KERAさんの作るものもそうだし、KERAさん自身にも。それで、またご一緒したいと言い続けていたら、今回声をかけていただき、しかもこの豪華メンバーなので、本当にうれしく思っています。

『陥没』はとにかく台本が面白かった。稽古に入った段階で半分くらい書かれていて、それ以降は稽古しながら、その人を見ながら書くんです。こういうふうに言えば面白いという確信がKERAさんの中であって、この言葉を立ててほしいとか、ここは一気に言ってほしいとか、ここは3割増しのスピードでとか、指示がとても具体的です。俳優がその通りにやったら、客席は大爆笑になるという、魔法のような作品でした。

KERAさんはミュージシャンでもありますが、ずっと演劇をやられてきて、新作も書き続けて、どんどん進化しています。自分の世界観があって、センスがあって、毒もあって、笑えて、かといって分かりやすいことはやっていない。演劇をやり続けていれば、こんなふうになれる可能性があるんだという希望を与えてくれる人です。そんなKERAさんのあり方を、僕は尊敬しています。

名前と風貌はどぎつい感じですけど(笑)、ご本人は優しくて、演出もどなったりすることもなく、天才ゆえの厳しさというか、はっきりとものを言われます。特に笑いに関しては明確なビジョンがあるので、僕はそれにちゃんと応えられているのか、稽古でもすごく緊張します。

KERAさんは、僕が出ているミュージカルの舞台を見たことがないと思います。こまつ座の公演で、井上ひさしさんが書かれた『イーハトーボの劇列車』で僕が宮沢賢治を演じたのを見に来られて、そのあと『陥没』のお話をいただいたので。何がよかったのか聞いたら、「ミュージカル界のプリンスと言われているらしいけど、その姿は知らない。芳雄の芝居は生活感があるのがいいんだ」というようなことを言われました。ストレートプレイ(セリフだけの演劇)の僕を認めてくださり、とてもうれしかったのを覚えています。

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