専業主婦からCEO トップは周りを巻き込み自ら変化
野村アセットマネジメント 中川順子CEO兼社長(下)
野村アセットマネジメントCEO兼社長 中川順子氏
一般職から総合職に転換、夫の海外勤務のため退職、帰国後に復帰してグループ会社トップ――。野村アセットマネジメントの中川順子最高経営責任者(CEO)兼社長は女性の「キャリアすごろく」の見本のような経験を持つ。男女雇用機会均等法の第1世代であり「遠からず女性も活躍できる」と信じて働き始めた。現実の日本社会は男性優位で道筋は視界不良だったが、「鈍感だったので気にしなかった」と語る。
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――30年以上前、就職先に金融を考えた経緯を教えてください。
「学生時代から金融志望でした。1987年に大阪で開かれたアジア開発銀行(ADB)の年次総会で受付のアルバイトをしたのがきっかけです。アジア開銀の幹部に女性が多く、日本でも金融で女性が活躍できる日が来る、と思いました。総会を手伝っていた民間銀行の男性スタッフもすてきだったので、さらに金融で頑張ろうという気持ちになりました」
――なぜ証券会社に。
「米国で証券化ビジネスが盛り上がっていたときだったので、証券の方が幅広い仕事ができそうだ、と思いました。ただ、当時の金融業界は総合職の女性採用の間口が狭い、というか数が少なかったのです」
「一般職で投資アドバイザーの仕事があったので応募し、最初に内定した野村証券に入りました。仕事の中身に興味があったのです。外で営業活動できるか、研修が充実しているか、など当時は仕事の与えられ方が男性(総合職)と女性(一般職)で少し違いましたが、気にせず仕事に取り組みました」
――その後、転機を何度も経験しました。
「支店で投資アドバイザーの仕事をしてみると、自分がお客さまに助言している運用商品を作る側になりたいと思うようになりました。そこで職種転換テストを受け、入社3年目に総合職になりました。直後は人事部に異動したのですが、その後に投資銀行部門に移り、そこで長く経験を積みました」
「社内結婚した相手は英国のロンドンにいたのでスタートは別居婚でした。私が名古屋に単身赴任した時期もあり、別居期間は結構ありました。ただ、私が財務部の課長だったとき、彼が野村香港から現地の外資企業に転職すると決め、同行してほしいと言われたのです」