芸人・たかまつななさん 親に内緒、高校生で舞台立つ
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はお笑いジャーナリストとして活動する、たかまつななさんだ。
――「お嬢様学校」として知られるフェリス女学院(横浜市)出身のお笑い芸人としてデビューしました。芸能界入りに、ご両親は反対しませんでしたか。
「猛反対ですよ。高校生のとき、家族との夕食の席で『将来はお笑い芸人になりたい』と言ったら、シーンと静まり返りました。会社員の父は『遺憾である』と、ぶぜんとした表情です。父は自分の母校である慶応義塾大学に私を進ませたかった。私がとんでもないことを言い出したので、父は母に『おまえの教育が悪い』と当たり、夫婦げんかになりました」
――なぜお笑い芸人になりたかったのですか。
「きっかけは、中学2年生のときに『憲法九条を世界遺産に』を読んだことです。共著者が、お笑いコンビの爆笑問題の太田光さんなんですが、それまで太田さんを知らなかった。何しろNHKのニュースかドキュメンタリーしか見せてもらえない家庭だったので。太田さんはお笑いで政治問題を伝える。新しいな、かっこいいなと思いました」
「小学生のときは、足が速かったので横浜F・マリノスの女子スクールに通っていました。将来の夢はサッカー選手です。しかし、塾に行かせたいという親の意向でやめさせられました。だったら、自分にはお笑いの道しかないと思い始めました」
――どのように活動を広げていったのですか。
「中学で友人と組んでコントや漫才をするようになり、文化祭などで披露すると大ウケです。高校生になってからは、親に内緒で東京のお笑いの舞台に立ち始めました。ただ自宅が横浜なので東京に出る理由がない。『国会図書館へ行く』などとでまかせを言っていました」
「大学には行かないつもりでしたが、広く社会を見るために進学した方がいいかと考えました。それまで受験勉強をしていなかったこともあって、(筆記試験だけを選抜基準としない)AO(アドミッションオフィス)入試に絞り、慶大の総合政策学部に合格しました。父は一安心したようです。大学生になってからは、テレビのお笑い番組などに積極的に出演しました」
「最近は単独ライブのほか、ユーチューブなどで、お笑いを通して社会問題を発信する活動をしています。若い人に政治を面白く伝えるために、全国の学校へ出前授業もしています。『お笑い界の池上彰』を目指しています」
――ご両親はどうみていますか。
「ほとんど連絡を取っていないので、わからないですね。でも両親には感謝しています。我が家は本に囲まれた生活で、私も自然と本を読む習慣が身につきました。いまの仕事は本を読むことが欠かせない。道筋をつけてくれたんだなと思います」
(聞き手は生活情報部 大橋正也)
[日本経済新聞夕刊2020年3月24日付]
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