「シリーズ中断」を山田監督に直訴決意 さくら役が重荷に

――さくら役を演じるのが嫌になったこともあったそうですね。

「ええ、最初はそれほどでもなかったんですけど、何本目だったかな、シリーズが始まってだいぶたった頃、さくらを演じることに次第に重荷を感じるようになってきたんです。街を歩いていても、食事をしていても、知らない人から『ねえ、さくらさん』とか、『さくら、あんちゃん元気か』なんて言われるので……。それで一時期、かなりつらくなってしまい、山田さんに『この辺りでそろそろ休憩しませんか』と提案しようと思っていたんです」

「お帰り 寅さん」試写会の舞台あいさつで(左から前田さん、倍賞さん、山田監督)

――山田監督に「シリーズ中断」を直訴しようとしたんですね。

「ええ。でもね、そう思っていた矢先に撮影所でプロデューサーに『山田さんが呼んでます』と言われたので行ってみたら、『倍賞くん、すごいことになったよ』って山田さんが興奮気味に言うんです。東京都が82年度に都民文化栄誉章を創設し、栄えある第1回目を『男はつらいよ』(山田監督、渥美さん、倍賞さんの3人)が受けることになったと。その時『あ、そうか、シリーズはまだまだ続くんだ』と悟り、私も覚悟を決めました。『男はつらいよ』という作品は長い長い1本の映画を撮っているようなものだと思っています。色々と人生のことも学べたから、私にとっては学校みたいなものですね」

庶民派と正反対のイメージに憧れ、パリの街さっそうと歩きたい

――ヒットした歌を映画化した「下町の太陽」(63年公開、山田洋次監督)で庶民派女優として脚光を浴びました。

「あれは私にとって大きな節目になった作品でした。そもそも私は生まれが東京の巣鴨(豊島区)だし、疎開後に育った場所も東京の滝野川(北区)。どちらも下町ですから、自然にそうなったんだと思います。当時、松竹では岩下志麻さんが『山の手のお嬢さん』というイメージ。それに対して私は『サンダル履きが似合う庶民派女優』なんて呼ばれていた。岡田茉莉子さんが『高根の花』という感じだったから、『野に咲く草花みたいな若手が入ってきた』と見られたんでしょうね。でも、私、実は庶民派女優とはまったく違うイメージにも憧れていたんですよ」

松竹では「サンダル履きが似合う庶民派女優」と見られていた

――どんなイメージの女優ですか。

「当時、フランスのヌーヴェルヴァーグ映画とかが日本に入っていたので、パリの街をフランスパンやオレンジを抱えながら、さっそうと歩くようなことに憧れていたんです。赤いマフラーなんか首に巻いて、革手袋をはめ、サングラスをかけ、オープンカーで街を駆け抜けるみたいな。窓から片腕を出して、オープンカーを運転したりね。でも、オープンカーって、いざやってみると夏はすごく暑いのね。だから、すぐにやめちゃったけど。(笑)」

――庶民派女優とは正反対のイメージですね。

「でも、憧れはやっぱり実践してみたいじゃないですか。私、形から入るタイプだから(笑)。それで、仕事もすごく忙しくなってきたし、おまけに恋愛もダメになってしまって……。というか、会社や親にダメにさせられちゃって、色々なことが嫌になり、思い切って欧州へ一人旅に飛び出したんです。もう日本には帰らないくらいの覚悟で。たしか20歳代半ばくらいだったかな」

次のページ
ストレス・失恋……、「日本に帰らない」と伊仏に一人旅
エンタメ!連載記事一覧