ルーツは過激な国際女性デー ロシア革命のきっかけに

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

国際女性デーには世界中の女性が平等な権利を求めて街頭で抗議行動を繰り広げる。写真はバルセロナのデモ参加者(PHOTOGRAPH BY PAU BARRENA, AFP/GETTY)

3月8日は国際女性デーだった。世界の人々はこの日、人口の約半数を占める女性たちの功績を改めて称える。最近では、セレブやブランドが女性を称える日のようになっているが、そのルーツは思いのほか過激である。国際女性デーは、今から100年以上前に、女性の平等な権利を希求する社会主義運動のリーダーによって提唱された。

1909年、米国では労働運動と女性参政権運動が高まっていた。ロシアからの難民で、労働組合を組織し、ジャーナリストでもあったアメリカ社会党女性委員会のテレサ・マルキールは、こうした運動において女性がより積極的な役割を担えるようにしたいと願い、2月の最終日曜日を「全米女性デー」と定めると宣言した。同年2月23日にはニューヨークの社会主義者約2000人がマンハッタンに集結し、女性の平等と参政権を求める会合に参加した。

3年後の1912年、活動家のメタ・L・スターンは次のように回想している。「私たちの全米女性デーは大成功をおさめ、女性デーは社会主義者の毎年の記念日として広く受け入れられるようになった」。彼女は、「女性デーはメーデーとともに、賃金奴隷制と性的奴隷制の廃止、男性も女性も、より自由に、よりよく、より幸福に生きられるようにしようという、新しい希望と新しい理想のための日である」と説明している。

この記念日はヨーロッパの社会主義者も刺激した。ドイツの労働組合の組織者クララ・ツェトキンの提案を受け、ヨーロッパの人々は1911年3月8日を最初の国際女性デーに定めた。全米女性デーは2月だったが、彼らはパリ・コミューン(短期間だけフランスを支配した社会主義者の革命政権)40周年を意識して3月を選んだ。女性たちは行進とスピーチによりこの日を祝った。

国際女性デーはそれから数年で、女性たちが声を上げ、第一次世界大戦に抗議するための強力な手段になった。歴史家テンマ・カプランは、戦時中に記念式典に参加した女性たちは、「公的および一般の政治的リーダーたちがあまり役に立たない私的な領域で、妻や母や主婦としての自らの権利を宣言した」と解説している。

ナショジオメルマガ
ナショジオメルマガ