1850年の春、ゼンメルワイスは権威あるウィーン医学会で講演し、大勢の医師の前で手洗いの効果を説いた。しかし、彼の説は当時の医学の常識に真っ向から反していた。そのため、医学界から拒絶され、その手法も論理も非難された。

歴史学者たちは、ゼンメルワイスの説が患者の死を医師のせいにしたことも、否定された理由だろうと考えている。結果として、産科病棟での死亡率を大きく低下させたにもかかわらず、ウィーン総合病院は手洗いの義務付けをやめてしまった。

その後の年月は、ゼンメルワイスにとって困難なものだった。失意のうちにウィーンを去った彼は、ハンガリーのペスト(現ブダペスト)で再び産科病棟に勤める。ここでも彼は手洗いを励行し、ウィーンと同じように母親たちの死亡率を劇的に低下させた。しかし、どんなに多くの命を救っても、彼の理論は認められなかった。

ゼンメルワイスは1858年と1860年に手洗いについての論文を書き、その翌年には本を出版した。だが、彼の理論はやはり医学界の主流派には受け入れられなかった。それどころか、彼の本は、産褥熱の原因は別にあるとする医師たちから大きな批判を浴びた。

数年後、ゼンメルワイスの健康が悪化し始める。梅毒またはアルツハイマー型認知症を患っていたとも言われている。精神病院に送られたゼンメルワイスは、ほどなくして亡くなった。一説には、手に負った傷口の感染が原因となって敗血症を発症したせいだと考えられている。

2009年にH1N1型インフルエンザが大流行した際、イタリア、ミラノの小学生たちは感染を防ぐため日常的に手を洗っていた(PHOTOGRAPH BY STEFANO G. PAVESI, CONTRASTO/REDUX)

名誉回復

ゼンメルワイスの死から2年経った1867年、英スコットランド人の外科医ジョゼフ・リスターもまた、感染症の予防策として手や手術道具の消毒を推奨した。彼を批判する者もいないわけではなかったが、1870年代には、手術前に手を洗う習慣を取り入れる医師が増え始めた。

次第に、ゼンメルワイスの功績も認められるようになった。彼の論文は、のちにルイ・パスツールの病原菌説につながり、それが患者の治療法や、病気の原因および感染経路の調査方法を変えていった。

医師がこまめに手を洗うようになったのは1870年代のことだが、日常的な手洗いの重要性が広く知られるようになったのは、それから100年以上も経ってからだ。米国で手洗いに関するガイドラインが制定され、公式に健康管理の一環とされるようになったのは1980年代のことである。

ゼンメルワイスの理論がばかにされた時代から100年以上が経って、ブダペスト医科大学はその名をゼンメルワイス大学と改称した。清潔さが医療を改善すると粘り強く説いたものの、報われなかった彼に敬意を表して。

ゼンメルワイスがさらし粉(次亜塩素酸カルシウム)の溶液で手を洗うところを描いたスケッチ。彼の発見は、医療行為の安全性向上につながったが、功績が認められたのは、彼が1865年に亡くなってから後のことだった(PHOTOGRAPH BY BETTMANN, GETTY)

正しい手の洗い方

米疾病対策センター(CDC)は、感染症の拡大防止のために以下のようなガイドラインを定めている。

【1】流水で手をぬらし、せっけんを付ける。水温やせっけんの種類(抗菌タイプか否か)は、除去される病原体の数に影響しない。

【2】手をこすり合わせ、せっけんを泡立てる。摩擦によって、より多くの病原体が除去される。

【3】少なくとも20秒間、手を洗う。「ハッピー・バースデー」の歌を2回歌えるくらいの長さだ。

【4】きれいな流水で手を完全にすすぐ。CDCによれば、ペーパータオルを使って蛇口を閉めることが感染症予防に役立つという証拠はない。

【5】清潔なタオルで手を拭くか、自然乾燥させる。

(文 NINA STROCHLIC、編 AMY BRIGGS、訳 桜木敬子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年3月10日付記事を再構成]

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