高校からの入学組は1学年350人中50人程度。学校の中で自分の居場所をつくることが高校生活の始まりだった。

私が入学した当時は、桐朋中学などからの持ち上がり組が大半だったので、すでにまとまりができていました。学校内の自分の居場所づくりから始めなくてはならなかったことを覚えています。

その居場所になったのが軟式テニス部です。

「自由でのびのびした方が自分は好きだし、向いていると考えて桐朋を志望した」と振り返る

中学時代はバスケットボール部でした。補欠にもなれないレベルだったので、高校では転向しようと思ったのです。候補になったのが、ペアさえ組めれば試合に出られそうなテニス部。硬式テニスが希望でしたが、桐朋には硬式がなかったので、軟式テニス部に高1から入部しました。勉強一辺倒ではなく、生徒は部活にも一生懸命励む雰囲気の学校でもありましたので。

高2のある時期から朝練が強化されました。「強くなるために」との理由でしたが、そのために朝、家を5時ごろ出なくてはいけなくなった。放課後の練習を終えて帰宅すると午後8時を回るような生活で、もう連日ヘトヘトでした。へこたれずに部活が続けられたのは、良き先輩や同期に恵まれ楽しかったことや、部活が自分の居場所になっていたからでしょう。

小、中学校とも神奈川県相模原市内の公立でした。小6の時、親のすすめで中学受験に挑みましたが、全滅しました。その屈辱感から絶対にリベンジするぞと臨んだのが、私の高校受験だったのです。

志望校選びでは、自分なりの基準がありました。まずはいろいろチャレンジできそうな学校であること、良き友人との出会いも期待でき、その先の大学進学でも様々な選択肢がありそうな高校であること、の3つです。インターネットなどまだない時代でした。頼りの情報は塾の資料や偏差値、実際に学校見学してみての印象くらいしかありません。最終的に志望校は桐朋のほか国公立や私立計5校に絞り込みました。

桐朋は文系や理系もいるし、医学部に進む人も少なくありません。生徒のタイプは実に様々。まがりなりにも「進学校」と呼ばれる学校に進むなら、校則で厳しく管理されたところより、自由でのびのびした方が自分は好きだし、向いている。そう思ったことも、進学先を桐朋にした理由です。自分でつかんだ初の「合格」だったので、うれしかったのはつかの間。通学に片道2時間かかるとハタと気付きましたが、後の祭りでした。

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