地球最大級の愛らしさ アザラシの赤ちゃんに会える島

日経ナショナル ジオグラフィック社

2020/3/20
ナショナルジオグラフィック日本版

気候変動でますます予測不可能になってゆく世界では、同じシーズンでもより早い時期に生まれた赤ちゃんの方が有利になる(PHOTOGRAPH BY JENNIFER HAYES)

海氷の上を歩いていると、下に海が広がっていることを忘れてしまう。ありえないほど青い空、まぶしい陽の光をはね返す新雪の毛布、チェロのようにうなる風、見渡すかぎりの白。このいてついた世界には余計なものが一つもない。

ようこそ、タテゴトアザラシの繁殖地へ。ここはカナダ、ケベック州のセントローレンス湾内に浮かぶマドレーヌ諸島(マグダレン諸島)の沖だ。大西洋の北西部に2カ所あるタテゴトアザラシの繁殖地の1つであり、ナショナル ジオグラフィックが選ぶ「2020年に旅したい場所」の一つでもある。

タテゴトアザラシは氷の上で生まれる。子どもが生きるためには安定した氷が必要だが、セントローレンス湾の海氷量は年々、予測が困難になっている(PHOTOGRAPH BY JENNIFER HAYES)

タテゴトアザラシのおとなは北極地方からやって来て、妊娠中のメスは出産に適した氷を探す。子どもを安全に産み育てるには安定した氷が必要なのだ。赤ちゃんは2月末から3月初旬に氷の上で生まれ、12~15日間の授乳期間を経て、ひとり立ちする。タテゴトアザラシの子どもは、黒曜石のような瞳と、チャコールグレーの鼻と、雲のように柔らかい毛皮をもつ、地球上で最も魅力的な生き物の1つだ。

遠くから子アザラシの合唱が聞こえると、私はしばし手を止めて、その鳴き声に聞き入る。短いけれど、貴重な時間だ。それからカメラを取り出す。目の前の盛り上がった雪の中に、わずかに動くものがある。ゆっくりと、ぎこちなく動く小さなヒレだ。1頭の子アザラシが、体温と身動きで掘られた小さな雪洞の中に収まって、風から身を守っている。体が黄色っぽいのは、まだ羊水の色が残っているからだ。あお向けになると、ピンク色の胎盤が見える。

生まれたばかりのタテゴトアザラシの赤ちゃん。体が黄色っぽいのは羊水の名残。ピンク色の胎盤も見える(PHOTOGRAPH BY JENNIFER HAYES)

私は適度に離れた場所を選んで雪の中にひざまずき、「2019年3月8日」と日付を記録して、母アザラシの帰りを待った。やがて水音と短い鼻息が聞こえ、近くの氷の穴から大きな黒い目とヒゲのある顔が出てきた。母親は周囲の様子をうかがってから、かぎ爪を使って氷の上によじ乗り、子アザラシに近づいていく。2頭は鼻先を合わせて親子関係を確認する。あなたは私の子? あなたはお母さん? それから母アザラシは私の方を振り返って検分し、脅威ではないと判断すると、横たわって目を閉じ、授乳をはじめた。

学び、成長し、癒やされる体験

私たちの記事は2014年に掲載されたが、タテゴトアザラシとの関わりはそれで終わりにはならなかった。母アザラシとの出会いは嵐によってほろ苦い記憶となり、私は氷の世界が夢のように儚(はかな)いことに気づいた。私は、氷の状況が許す限り毎年ここに戻ってきてタテゴトアザラシの暮らしを追跡し、アザラシやその縮小する生息域のことを広く知ってもらおうと決意した。

時は流れて2019年。私たちは今年もアザラシの繁殖地を訪れようとマリオ・シル氏の船を予約していたのだが、海が氷に覆われていて船を出せないと連絡が来た。これはむしろ明るい知らせだった。アザラシにとっては良い年になるだろう。そして、ヘリコプターでのエコツーリズムを試してみるには絶好の機会だ。

マドレーヌ諸島の中心地カップ・オ・ムール島にあるホテル「シャトー・マドリノ」は、子アザラシが見られる季節にヘリコプターを飛ばし、安全ならば氷の上に上陸できるツアーを実施している。私はこのツアーで、母アザラシが日なたぼっこをしながら授乳する光景を見ることができた。

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