俳優・佳久創さん 元野球選手の父「天狗になるな」
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の佳久(かく)創(そう)さんだ。
――お父さんは元プロ野球選手の郭源治投手ですね。
「父が中日を引退したのは小学校に入る前で、引退試合で一緒にナゴヤドームを歩いたのが、かすかに記憶に残っているくらいです。『おまえのお父さんはすごいんだな』と言われるようになって、初めて野球選手の息子ということを意識しました」
「あまりしゃべらないけれど時にはふざけて笑っているという、自分にとっては普通の父です。負けず嫌いで勝ち負けに熱くなるところは、僕と似ているかもしれません。『何事にも謙虚であれ。天狗(てんぐ)になると成長が止まる』ということを常に言われてきました」
――ご自身が選んだスポーツはラグビーでしたね。
「中学でラグビー部に入り、高校では7人制の全国大会に出場しました。父は口には出さなかったけれど、野球をやってほしかったみたいです。それでも応援のため試合を見に来てくれました」
――快足ウイングとして、明治大からトップリーグのトヨタ自動車に進みました。
「明治大では、2年生で伝統の明早戦に出場できたことが大きな思い出です。めちゃめちゃ緊張して、頭が真っ白になりました。3年生の時に左膝をけがをして、思ったようにプレーはできませんでした。トヨタ自動車でもけがが続き、2年で引退しました」
「引退後は会社に残って社業に励むつもりでした。でも、同期の選手が活躍するのを見て、自分も燃えるようなことをやりたいと思うようになり、興味があった俳優を目指そうと考え始めました」
――俳優転向にお父さんは何と言いましたか。
「父に相談したところ、『もう少し会社で頑張れ』と言われました。『俳優になるにしても、会社員をやっていたことはアドバンテージになる。今すぐ辞めるのは早い』と諭されました」
「諦めきれずに受けた声優のオーディションに受かったので、27歳で東京に出てきました。父には事後報告でしたが『自分がやると決めたからには一生懸命やりなさい』と言葉をかけられました」
――ラグビー経験を生かし、テレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」に出演しました。
「ラグビーのドラマに出演できたことは非常にうれしいことでした。大泉洋さんらの演技を見て勉強になったのはもちろん、俳優としても欲が出てきました。アクションもできて、しゃべりも面白い役者になりたいです」
――それがお父さんへの親孝行になりますね。
「節目節目で背中を押してくれた父に感謝しています。スポーツ選手の息子としてスポーツで親を超えられればよかったのですが、誰もが知っている俳優になり父に認めてもらうことも親孝行だと思っています」
(聞き手は生活情報部 伊藤新時)
[日本経済新聞夕刊2020年3月10日付]
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