ハイチ大地震から10年 見えぬ光、どん底の生活続く

日経ナショナル ジオグラフィック社

2020/3/11
ナショナルジオグラフィック日本版

マグニチュード7.0の地震がハイチの首都を襲った2010年1月12日の翌日、少女の手当をする救急隊員。瓦礫は撤去されたものの、ハイチの経済状況は依然として厳しく、国民の3人にひとりが緊急の食糧援助を必要としている(PHOTOGRAPH BY EDUARDO MUNOZ, REUTERS)

カリブの島国ハイチ。首都ポルトープランスのノートルダム大聖堂があった場所に立ち、ケトリー・ポールさんは、荒れ果てた廃墟を見つめていた。そこには、かつてステンドグラスの窓や信徒席があった。ポールさんは47歳で、5人の子供を持つ母親だ。

2010年1月12日にハイチを襲った大地震で、31万6000人が亡くなり、150万人が負傷し、150万人が家を失った。

地震後、世界各国から人道的な支援が集まった。さらに、133億ドルにのぼる支援金の約束もまとまっていただけに、大聖堂は再建され、家を失った人向けの新しい住居が用意されると、ハイチの人々は考えた。不安定なこの国の生活はよくなるだろうと、ポールさんも思い描いていたのだ。

現実には、震災から10年経った今も、ハイチの現状は復興からはほど遠いものだ。政治的な対立が原因で企業は倒れ、経済は停滞。外国からの援助も下火になった。

確かにポルトープランス全域を覆っていたがれきや、ありあわせの材料で作ったテントだらけの街並みは姿を消した。一部だが定住区域もできた。しかし、電気も衛生設備もなく、治安も悪いまま、3万2000人以上にのぼる被災者が今も暮らしている。

2010年の地震で全壊したノートルダム大聖堂。ポルトープランス大聖堂とも呼ばれる、街を象徴するこの建物は、1884年に建築が開始された。2014年には、隣に礼拝のための臨時の大聖堂が建てられたが、元の建物は荒れ果てたままだ(PHOTOGRAPH BY ANTHONY ASAEL, GETTY IMAGES)

ハイチでも特に有名な建物が大聖堂と大統領府だが、これらもいまだ再建に手がつけられていない。米国とフランスが1億ドルかけてつくると約束した公立病院も建築開始から6年たっても完成からは程遠く、費用をめぐる争いで工事自体が中断されたままだ。

現在、ポールさんは、倒壊したノートルダム大聖堂近くで、屋根代わりに張った防水布の下で暮らしている。恒久的な住宅はほとんど建てられていない。マグニチュード7.0の地震の後に多くの人が思い描いていた明るい未来は現実とはならず、ハイチは今、かつてないほど深刻な経済不況に陥っている。国民の不満はこの貧しい国全体を飲み込み、ハイチの人々は政治指導者への信頼を急速に失いつつある。

地震が起こる前、ハイチの状況は上向いていた。経済は改善に向かい、国外投資家が投資を検討し、ハイチ国民自身も未来に希望を抱いていた。

政治の機能不全に汚職で続く抗議行動

ところが震災と、それに続く2度の大統領選挙と議会選挙の後、政治の機能不全は悪化するばかりだ。腐敗に対する国民の抗議は過激さを増し、2019年には3回にわたって全国規模の抗議行動が起きている。

クレオール語で「ペイロック」と呼ばれるこの抗議行動では、政府に反対する人々が、燃えるタイヤや岩などを使って道路にバリケードを張り、首都内外や都市間の移動ができないようにした。これによって学生は50日以上通学ができず、ホテルは閉鎖して従業員が一時解雇されるなど、様々な人道的な危機に苦しむことになった。

高まる不満をさらに煽ったのが、ベネズエラによる石油の優遇提供プログラム(石油協力機構ペトロカリブ)からの援助資金20億ドルだ。この資金は地震後のプロジェクトに投資される予定だったが、政府監査官によって横領が指摘され、それが反政府運動に拍車をかけた。

地震から10年目となる2020年、ハイチはさらに深刻な危機を迎えようとしている。ハイチには、もはや議会や政府が存在しているとは言えない。20年1月13日からは、大統領自らが統治に乗り出している。

そして、ポールさんのようなハイチ国民は、10年経っても生きるための苦闘が続いている。

経済危機は、燃料不足、急激なインフレ、そして貧困を招いた。腐敗に抗議する人々は、2019年には学校や企業を閉鎖し、何カ月にもわたって幹線道路を封鎖した。

地震によって10万棟以上の建物が倒壊し、政府の建物もひとつの省を除いてすべてなくなってしまった。にもかかわらず、いわゆる「援助国のハイチ疲れ」も加わった数々の危機にさらされ、復興はさらに困難を極めている。

「われわれは国家として失敗したのです」。初期の復興計画に関わった都市計画家・建築家のレスリー・ヴォルテール氏だ。

失敗の証拠は、首都ポルトープランスを歩けばすぐ見つかる。成功事例もあるが、手放しで喜べるような代物ではない。

地震のあと、国会で新しい建築基準法が成立しなかったものの、耐震対策が施された新しいホテルが次々に建った。しかし、19年の政治危機では、わずか数カ月の間に3度も国が機能しなくなった。こうした余波で、ベストウェスタン・ホテルが閉鎖を発表。さらに、その他のホテルも従業員を解雇した。

地震は、ハイチ社会を代表する知識人、芸術家、フェミニスト、その他の著名な改革の担い手たちの命も奪った。こうした人々の不在が、現在と未来のために苦闘するハイチに重くのしかかっている。

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