京急本社1階はミュージアム 列車に触れて運転体験も南田裕介の変わる「鉄」を見にいく

「京急デハ230形」の前で。手に持つ写真が同車両の修復前の姿。OB社員の手で鮮やかによみがえった。写真右上に見える木の板の幅は1435ミリで線路の幅と同じ
「京急デハ230形」の前で。手に持つ写真が同車両の修復前の姿。OB社員の手で鮮やかによみがえった。写真右上に見える木の板の幅は1435ミリで線路の幅と同じ

会社員ながら「鉄道大好き」として有名人となった、ホリプロの南田裕介マネージャー。彼が日々変わり続ける鉄道の現場をたずねる連載。今回訪れたのは、「京急ミュージアム」。横浜市西区のみなとみらい21地区にある京急グループ本社1階に、1月21日にオープンした鉄道の博物館(入館料無料)です。

京急ミュージアムのコンセプトは、「本物を見て、触れて、楽しむ」。館内には、昭和初期から活躍した車両「京急デハ230形」が展示されているのをはじめ、沿線の街を模した「京急ラインジオラマ」や、実際の運転台や沿線の動画で運転体験ができる「鉄道シミュレーション」、オリジナルのプラレール車両がつくれる「マイ車両工場」など、施設の面積は約200平方メートルと広くはないものの、鉄道や京急グループの多様な楽しみ方ができます。

「鉄道ファンの方々にも満足していただきながら、ファミリー層も楽しんでいただきたい。訪れるたびに発見がある場所を実現しました」(京浜急行電鉄・鉄道本部 運輸営業部 営業企画課 飯島学さん)と自信を見せる館内を、南田裕介さんと平山ゆりの(子の影響で鉄道好きになり始めた「浅鉄」ライター)が好奇心いっぱいに巡ります。

レジェンド車両「京急デハ230形」を見る

南田裕介(以下、南田) どうもどうも、飯島さん~!

京浜急行電鉄 飯島学さん(以下、飯島) いつもお世話になっております。今日はありがとうございます!

南田 飯島さんはね、「京急博士」。以前は広報部で京急さんの社史「京急グループ120周年史」の編集をされていました。京急ミュージアムは、企画の立ち上げからかかわっておられます。

南田裕介さんと京浜急行電鉄の飯島学さん(右)。味わい深いほうろう製の看板はOB社員が保存していたものだという

飯島 博士とは恐れ多いですが、何でも聞いてください(笑)。早速、館内のアイコンである本物の車両から見ましょう! 当社の歴史を語るべく、本物の車両「デハ230形」を2年かけて修繕したものです。

南田 この車両が実際に走っている姿、ぼくは見たことないんですよね。

飯島 デハ230形は、南田さんや私世代よりも前に活躍した、レジェンド的存在ですね。この車両が引退したのは、昭和53年(1978年)。年齢にして90歳です。昭和50年にSLが廃止され、その後、寝台特急ブルートレインで盛り上がるという鉄道ブームがありました。「デハ230形」も当時の鉄道ファンに愛され、当時はまだ珍しい「さよなら運転」をして惜しまれました。

南田 当時の設定で、ホームも作られているんですか。

飯島 はい。昭和43年(1968年)~53年前後の駅のホームを再現しています。

南田 「京浜蒲田(現・京急蒲田)」と「京浜安浦(現・県立大学)」の2つの駅のほうろう製の看板は、時代感が出ていますね。

飯島 時々、駅名の看板は入れ替えます。ホームは、特定の駅をイメージしてつくってはいないので。今ホームに飾っている2枚の駅名看板は、京急のOB社員が保存していたものを寄贈してもらいました。

平山ゆりの(以下、平山) わ、ゴミ箱の中身まで当時を再現されています。捨てられているのは、あはは、昭和51年刊行の新聞、UCCのコーヒー缶、みかんの皮……演出が細かい!

ゴミの再現までにこだわったという

飯島 昭和53年当時のホームを再現するのは、簡単ではないんです。というのは、駅舎が、木造とコンクリート造りとの過渡期。中途半端な時期で資料が少ないのです。駅のホームを再現する際、我々の持っている資料だけでは足りませんでした。京急沿線に詳しい方や鉄道ファンの方が全面的に協力してくださったんです。鉄道、ホーム、駅舎、沿線風景など提供いただいた写真は3000点にもなりました。

南田 あれ? この停車位置付近のホームは、拡張されたデザインになっていますよね。ホームを延伸したというストーリー設定があるということですか。

飯島 ご名答! 時代ともに輸送力増強で、車両が大型化していた時代です。車両が2メートル大きくなると、大師線のように4両あるとホームは8メートルの延伸が必要になります。それが、このような継ぎ足したデザインに表れています。どうぞ、車両の中へ。車両を修繕する際は、OB社員たちに集まってもらいました。

平山:車内も昭和50年代にタイムスリップしたみたい。木造建築の匂いがしますね~。

南田 OB社員さんが修繕を?

飯島 当時の車両を整備していた人間は、今の社員にはいません。今年退職する高卒の社員でも、この車両が引退した昭和53年入社です。つまり、車両部にいた最年長者の従業員でも、この車両を実際に修復した経験がない。新卒の見習い時期ですからね。というわけで、60代後半以上のOBの手で修復しました。

縛るひもや結び方も当時を再現することにこだわった

平山 当時の人間じゃないと修繕できないものですか?

飯島 時代によって、細かな整備方法が違いますからね。たとえば、修繕の際に、ボロボロだった木の床を張り替えていますが、木目の色味がグラデーションしていくように張られています。ほかにも、この電気機器の中に雨が入らないようにするため、管と接続する部分に縛るひもや結び方も当時を再現しています。現在の同様の機器に対する防水対策はゴムとプラスチックテープを使うので、ひもは使っていませんし縛り方も見栄えをよくしています。そういった細かい技術が点在しているので、当時の現場を知らないとできません。

南田 徹底していますね。

飯島 この路線図は、ファンの方からお譲りいただいた当時のもの。京急がミュージアムをつくると発表してから、イベント会場などでお会いしたファンの方から「こういうものを持っているよ」などと教えていただくことが何度もあり、ご提供いただきました。

車両に張られた路線図はファンが提供してくれたものだという

南田 車両の奥にある展示では、創業からの京急の歴史が追えるわけですね。わ、懐かしい……! いくら時間があっても足りません。

飯島 当社の歴史を大きく4期に分けて案内しています。当社は、路面電車の会社からスタートしているんですよ。(車両の外に出て)ちょっと見上げてみてください。ビルの天井のデザインは、木の板が等間隔に並んでいますよね。この板の幅は、京急の線路「標準軌」と同じ長さ1435ミリメートルなのです。

平山 そんなところまで……。

車内には京急の歴史を紹介するコーナーがある
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