4日目の朝、列車で長岡駅まで行き、そこからバスで良寛さま生誕の地に「良寛堂」が建つ出雲崎町に入りました。雪が降り始めています。前日までがウソのような厳しい寒さです。旅館の女将に聞くと、今年初めて冬の出雲崎らしい風景になったといいます。厳冬の出雲崎に出会うのを期待していた僕は、幸運に感謝しました。

雪の出雲崎、肖像画の前で一献

女将は長岡の悠久山の近くから出雲崎に嫁いで来たといい「長岡では上から降る雪が、出雲崎では横から降る。雪の粒も小さくて顔に当たると痛くて、最初はびっくりした。出雲崎の寒さは底冷えする」とも教えてくれました。

旅館には良寛さまの肖像画が入った掛け軸があり、晩の食事はその前に座っていただくことができました。良寛さまはお酒が好きでしたから僕も久しぶりにお燗(かん)をしてもらい、良寛さまと差し向いで飲みました。

出雲崎港郵便局(新潟県出雲崎町)の風景印の入ったはがき

翌朝、眼が覚めると外は吹雪です。近くの出雲崎港郵便局で消印代わりに美しい風景印を押してもらったはがきを出しました。局長さんらは僕がはがきに書いた「良寛さまの手鞠(てまり)」の鉛筆画を喜び、壁に掲示してくれました。出雲崎の古い町並みの写真や良寛さま関連の本まで見せてもらい、土地の人情の温かさを肌で感じる思いがしました。

鉛筆画にすることをイメージしながら、日本海の手前に雪の良寛堂を眺められる高台に登りました。強風で体が飛ばされそうな怖さを感じつつ、もう数年遅かったら無理だったかもしれない、本当に来てよかったとも思いました。良寛堂の前では雪だるまをつくる子どもたちにも出会うことができ、まったく「できすぎ」でした。

良寛堂の前で小学校3年の姉と1年生の弟が作った雪だるま。「形が面白かったのでスケッチ」(画・安住孝史氏)

帰りも高速バスです。帽子、マスク姿の若い男性が長岡から乗って来ました。座るとすぐスマホを出し、指先を盛んに動かします。ゲームを始めたようです。次に止まった上里サービスエリアまで頭を上げません。休憩中はバスの外に出て行きましたが、戻ってくると椅子を倒して目をつむり、終着点の池袋までそのままでした。僕は越後堀之内から小出にかけての越後三山の雪をかぶった神々しいばかりの美しさに見とれながら、この光景を見ないのはもったいないと語りかけたい気持ちでした。文明は文化を変えていきますが、感性だけは駆逐しないでほしいと願うばかりです。

安住孝史
1937年(昭和12年)東京生まれ。画家を志し、大学の建築科を中退。70年に初個展。消しゴムを使わない独自の技法で鉛筆画を描き続ける。タクシー運転手は通算20年余り務め、2016年に運転免許を返納した。児童を含めた芸術活動を支援する悠美会国際美術展(東京・中央)の理事も務める。画文集に「東京 夜の町角」(河出書房新社)、「東京・昭和のおもかげ」(日貿出版社)など。

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