なぜ水路跡から発見? 古代帝国の見事なレリーフ

日経ナショナル ジオグラフィック社

2020/2/17

サルゴン2世の統治

サルゴン2世が統治した、いわゆる新アッシリア帝国によるこの地域の支配は、紀元前911年から、紀元前609年に新バビロニアに破れて帝国が滅亡するまで続いた。

紀元前721年に即位したサルゴン2世は直ちに、抵抗していた北のイスラエル王国を征服し、数千人を捕虜にして強制移住させた。聖書にはサルゴン王が港湾都市アシュドドを攻め取ったと書かれており、最近考古学者らによって、この都市周辺の壁が発見された。壁はアッシリアの脅威を防ぐために急ごしらえで作られたが、その目的は果たせなかった。南のユダ王国は、イスラエル王国の二の舞になることを避けて属国になった。

一方、軍事以外のサルゴン2世の功績は、あまり知られていない。新首都ドゥル・シャルキン(「サルゴンの砦」の意)を建設したくらいだ。今回ファイダのレリーフが見つかったことは、王がアッシリア中心地域の開発を精力的に支援していたことを示すと、考古学者らは考えている。

サルゴン2世の息子、センナケリブは、この水路網を拡張し、世界最古かもしれない水道橋を建設した。これはニネベの近くを流れる川をまたいで造られた、石造りのアーチと防水セメントを用いた構造物である。「余は両岸の切り立った谷に白石灰岩の橋を架けた。その上に水道を通した」と自慢する碑文が残されている。

2700年ほど前、この水路によって潤された畑が、古代新アッシリア帝国の首都であった活気溢れる都市ニネベに食糧を供給した(PHOTOGRAPH BY ALBERTO SAVIOLI)

英オックスフォード大学の考古学者、ステファニー・ダリー氏は、伝説のバビロンの空中庭園が造られたのは、実際には豊富な給水を生かせるニネベだったと主張する。これに対しては異論も多いが、これまで学者たちは軍事面以外のアッシリアの技術力を過小評価してきたと、ウル氏やその他の研究者は語る。

遠征では、レーザースキャンやデジタル写真測量などの先端技術を用いて、石板やその内容にいたる詳細を記録した。ドローンで撮影した高解像度の写真によって、研究者は水路網の全体像を把握できる。

しかし、サルゴン2世の支援を記録したこの貴重な遺構は、「破壊行為、違法な発掘、近隣の村の拡張といった深刻な脅威にさらされている」とモランディ・ボナコッシ氏は警告する。レリーフの1つは、2019年5月に盗掘者による損傷を受けた。別の石板は農民が家畜小屋を増築する際に叩き潰された。2018年には、古代の水路を切り開いて現代の水道が通されている。

モランディ・ボナコッシ氏は言う。最終目標は、そのほかのレリーフも含む遺跡公園をつくり、アッシリアにローマ人がやって来る前の500年間に建設された給水システム全体がユネスコ世界遺産として保護を受けられるようにすることだ。

(文 Andrew Lawler、訳 山内百合子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2020年1月22日付]

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