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アサヒ飲料の大越洋二氏は1991年の「カルピスウォーター」大ヒットを販売現場で体験した

アサヒ飲料の大越洋二氏は1991年の「カルピスウォーター」大ヒットを販売現場で体験した

「カルピス」の生みの親、三島海雲の死後、「カルピス」ブランドは苦境に立たされる。それを覆した起死回生のヒット商品が「カルピスウォーター」だ。危機を乗り越えるエンジンとなった「カルピスウォーター」の誕生秘話と、その後の新たなヒット商品づくりについて聞いた。

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「カルピス」はもともと、「コンク」と呼ばれる原液を水で希釈して飲むタイプの飲料水として売り出された。缶入りの「カルピスソーダ」が全国発売されたのは1974年。奇しくもその年、カルピスの生みの親である、創業者の三島が亡くなっている。

第1次オイルショックの影響で余儀なくされた値上げの影響で、それまで伸長を続けてきた「カルピス」の売り上げは伸び悩んでいた。

「『カルピス』はもともと家で飲むもの。みんなで飲むコミュニケーション飲料という位置付けでした。ところが、コンビニエンスストアや自動販売機の普及に伴い、清涼飲料水も家で飲むものから、外で買って外で飲むものへと変化していきました。この変化にカルピスは完全に出遅れました」と、アサヒ飲料常務執行役員マーケティング本部長の大越洋二氏は振り返る。

缶やペットボトル入り飲料が市場の主流となるなか、希釈タイプのカルピスは苦戦が続くようになっていく。そんな状況を打破しようと、水で薄めず、そのまま飲める「カルピス」の開発も検討され始めた。後の「カルピスウォーター」だ。しかし、発売までには時間もかかった。2つの大きな課題が立ちはだかっていたからだ。

開発を邪魔した「2つの理由」

「1つはマーケティング的な問題です。当時のカルピスはコンクで成り立っている会社だったので、ストレートタイプを出してしまうと、自社内で市場を食い合ってしまい、既存商品の売り上げが減少してしまうのではないかという懸念がありました。冷静に考えれば、そんなことはあるはずがない。アウトドア需要に応えきれなくて機会損失を起こしているわけですから、そのニーズを埋める新商品を投入するのは当たり前のこと。今ならば誰もが素直にそう考えるでしょうが、当時はそうではありませんでした」(大越氏)

大越氏がカルピスに入社した1984年当時、希釈用の「カルピス」を販売している1課は「花の1課」と呼ばれていた。社内に根強くあった「コンク至上主義」の影響で、ストレートタイプを出す判断が遅れたのだ。

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