清酒や味噌のこうじで熟成 国産生ハムの奥深い味わい
生ハムは今や家庭の食卓にも上る身近な存在となってきた。日本の食品衛生法で生ハムに関する規定ができたのが1982年。96年にイタリアから生ハムが輸入解禁となり、消費が拡大したのはここ20年くらいのことだ。本場での長い歴史に比べると、日本の生ハムの歴史は始まったばかりで、知らないことや誤解していることも多い。例えば、「レストランで見かける骨付きの生ハムとコンビニで売ってる生ハムは同じ種類?」「国産の長期熟成生ハムは焼酎や日本酒にも合う!?」など。今回は日本人が意外に知らない生ハムの奥深い世界をご紹介しよう。
私が生ハムのおいしさに目覚めたのは昨年、あるホームパーティーに参加したときのこと。そのパーティーでは「原木生ハム」が料理の目玉として出された。原木生ハムとはレストランやバルなどのカウンターにドーンと置かれている、あの骨付きの塊である。一般家庭にこれがあることがまず驚きだが、なにより驚いたのはその味。まるでカツオブシのようにたんぱく質のうま味が凝縮している。まるでアミノ酸の塊! 今までレストランで食べてきたものよりも断然おいしかった。
聞けば、日本の生ハム工房でパーティーのホスト自ら生の豚肉から仕込んで作ったものだという。大昔からヨーロッパで保存食として発達したものなので、常温保存が可能で、薄くカットして食べるため、長時間かけてかなりの量を楽しめる。原木まるごと1本買いした方が結局はおトクなのだと教えてもらった。
パーティーでは自分たちで生ハムをカットする作業も楽しく、大いに盛り上がった。寒い時期にしか仕込めないと聞いて、「次の冬には私も『マイ原木生ハム』に挑戦するぞ!」と心に決めた。余談だが、最近は結婚式で「ケーキカット」ならぬ「生ハムカット」をするのがはやっているらしい。
そして先月、念願かなって原木生ハム作りを体験できるワークショップに参加してきた。訪れたのは長野県長和町にある生ハム工房「メゾン・ドュ・ジャンボン・ド・ヒメキ」。オーナーの藤原伸彦さんはもともとシェフで、県内のレストランのオープニングを手がけた際、地元の豚肉を生ハムにできないかと声が掛かり、製法を学び始めたという。2015年12月、生ハムを製造販売するために必要な「非加熱食肉製品製造業」の許可を受け、工房をスタートした。
ワークショップでは藤原さんが作った生ハムを試食しながら(これがおいしすぎ! 至福タイムを味わった)、これらがどうやって作られるかを聞く。その工程はこうだ。
(1)11月末~3月初旬。豚肉の血管内に残っている血を押し出し、塩をすり込む
(2)数日後に塩を洗い流し、塩と種こうじを混ぜたものをまぶして低温熟成させる
(3)3~4月、10~30%の湿度の中で乾燥させる
(4)5~8月、肉の表面がこうじの白いカビに覆われ、その作用で肉のたんぱく質がうま味成分に変化
(5)9月下旬~11月上旬、表面のカビを洗い流し、数時間乾燥させた後、肉の表面にラードとコメ粉を合わせたものを塗布してひとまず完成
と、このように完成までに1年かかる。仕込むのは豚の前脚か後脚かを選べ、前脚はこの時点で食べごろ。私が選んだ後脚はさらにもう1年熟成させたころが食べごろになるという。つまり、食べられるのは2年先というから、気が遠くなりそうだ。
「基本的には『ハモン・セラーノ』の伝統的製法に準じていますが、種こうじをまぶすことによりこうじ菌の作用で豚肉のうま味成分をしっかり引き出すのが特徴です」と藤原さん。ハモン・セラーノはスペインの生ハムのこと。イタリアの「プロシュート・デ・パルマ」と中国の「金華ハム」と並び、世界3大生ハムと呼ばれている。種こうじは清酒や味噌、しょうゆなどを作るときに使われる、蒸したコメなどの上にコウジカビを繁殖させたもの。この種こうじを使っている点がこちらの工房のオリジナルである。
「酒蔵の杜氏(とうじ)と蔵人(くらびと)たちと食事をする機会があり、その時に生ハムの作り方を聞かれたのがキッカケです。当時行っていたのは空気中にいる浮遊菌によって発酵を促す方法でした。それをお話しすると、それだといい菌もいれば悪い菌もいるので、安定的に安全に作れないかもしれないとアドバイスを受けました。それで、酒の仕込みを終えた後の残った種こうじをいただき、肉の表面に植えつけてみたところ、それまで以上においしい生ハムができたのです」
ワークショップでは上記の工程の1の部分だけを体験する。レクチャーと工程の一部をかじっただけだが、興味深い発見ばかりだった。例えば、肉と塩という非常に単純な材料だけで作られていること。肉の加工品というと保存性を高めるために添加物がたくさん入っているイメージがあったが、保存料は一切使っていないものだと分かった。
また、仕込んだ後は温度・湿度管理はするが、ひたすら置いておくだけということ。何もせず、「時間」の力でおいしくなっているのも興味深い。こうやって考えるとワインにとても似ている。ワインもブドウというシンプルな素材だけで、ブドウの表面についた野生酵母や培養菌の力を借りて発酵させる。あとはおいしくなるのを待つだけという点も同じだ。
藤原さんによれば、このような小さな生ハム工房が全国にもいくつかでき始めているとのこと。ほとんどの工房が飼料や肥育環境にもこだわった地元の豚肉を使用しているという。この点も小規模経営のマイクロワイナリーがその土地で取れたブドウを使い、大手のワイン工場にはない個性的な味を出しているのと似ている。
こうした流れを受けて「国産生ハム普及協会」なる生産者団体も設立されている。「当協会は『国産生ハム』を、原材料は日本で丁寧に育てられた国産豚と精製しない塩のみ、添加物は一切加えずに12カ月以上長期熟成させたものと定義し、それを普及させるべく2012年4月に発足しました」と会長の野崎美江さん。同協会では17年から「国産生ハムフェスティバル」を開催。来場者数は年々増え続け、昨年7月に長野県軽井沢町で行われた第3回は、入場者数は約900人を記録した。
こうした普及活動が必要なのは日本では2つの生ハムが混同されているという事情があるだろう。日本で一般的に「生ハム」といわれているものには2種類ある。1つはこれまで紹介してきた長期熟成の生ハム。そして、もう1つは「ラックスハム」と呼ばれるものである。
「ドイツ風の『ラックス・シンケン』というハムの製法に由来するとされ、ロース肉・肩肉またはモモ肉などを整形したものを原料とし、食塩・発色剤・香辛料・砂糖・アミノ酸液、薫製エキスなどの調味料液に浸し、ケーシング(ソーセージや塩漬け肉などを包む薄い膜)などで包装し、低温で薫製するか、または薫製しないで乾燥させて作ります。熟成をさせないので、1~2週間ほどで製造でき、大量生産が可能です」(野崎さん)
我々がスーパーやコンビニで見かけるパック入りの生ハムのほとんどがこの「ラックスハム」だ。食肉加工品は日本の食品衛生法では加熱か否か、乾燥度合いなどによって4つの区分に分けられる。長期熟成生ハムもラックスハムも同じ「非加熱食肉製品」に当たる。「非加熱」であることからともに「生ハム」と呼ばれているが、両者はこのように材料も製法も違う。最大の違いは「熟成」の工程の有無だが、食品衛生法の区分のしかたでは熟成期間を問わないので、同じ仲間にされてしまっている。
私もレストランで食べるものとスーパーで買うものでは味も形も食感もかなり違うなぁとは思っていたものの、ワインでいうところの「熟成されたワインと新酒の違い」みたいなものかなぁと思っていた。が、長期熟成生ハムは使う調味料は塩のみ、塩も漬け込まないで直接すり込む、ケーシングもしないと、ラックスハムとはまるで「別物」だったのだ。
同じ長期熟成生ハムでも輸入ものと国産の違いも気になるところだ。
「日本では食肉加工の文化が浅い分、伝統製法や固定観念に縛られず、いろいろなことに挑戦できます。試行錯誤を繰り返した結果、本場・スペインやイタリアにはないような生ハムが生まれてきています。日本酒のこうじ菌やしょうゆのこうじ菌を使用して発酵を促すというのもその一例です。また、こうじ菌などを使用していないのにみその風味がしたり、チーズっぽい味がしたり、多種多様です。ですから、ワインはもちろんですが、日本酒や焼酎との相性が非常によく、お試しいただくと皆さん驚かれますよ」(野崎さん)
私が仕込んだ生ハムも日本酒の種こうじが使われているので、完成した暁にはぜひ地酒と合わせてみたいものだ。それにしてもなぜ長期熟成生ハムはこんなにうまいのか。野崎さんは「熟成工程で肉本来が持っている酵素でタンパク質を分解し、『グルタミン酸』などのアミノ酸へと変化します。長期間熟成させた生ハムをカットしたときに現れる白い斑点は『チロシン』といい、うま味成分であるアミノ酸の結晶です」と説明する。
ほかにも、微生物の発酵作用を利用して分解を促し香味をつけるから、など諸説あるそう。「長期熟成生ハムがカビなどの微生物の力による発酵食品であるか否かは、生ハム生産者や微生物学者の中でも議論が分かれるところです。学術的にもまだ解明されていないこともあり、『時間』という神秘の力であの長期熟成生ハムのおいしさができあがっているのだと思います。メカニズムが分からないからこそ生ハム作りに情熱を燃やす国産生ハム生産者は皆さん熱いです」(野崎さん)
その地域ごとに風土の特徴を生かした個性豊かな味が生まれるので、町おこしや地域再生に利用されているのも国産生ハムのユニークな点だ。地域の名産としてふるさと納税の返礼品に使われているところも多いので、応援したい自治体に寄付してみるのもいいかもしれない。
(ライター 辻佳苗)
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