みうらじゅんの落第救った 中島信也の武蔵美時代編集委員 小林明

武蔵美で同級生だったみうらじゅんさんの書籍を持つ中島信也さん

CMディレクターの中島信也さん(東北新社副社長)、「ゆるキャラ」などの名付け親で漫画家、ミュージシャンとしても活躍するみうらじゅんさん、工業デザイナーの奥山清行さんの3人は、武蔵野美術大造形学部(視覚伝達デザイン学科)で同級生だった。武蔵美時代から3人は青春を謳歌し、才能を競い、時にはぶつかり合う場面もあったそうだ。

前回の「ライバルはみうらじゅん・中島信也 武蔵美はトキワ荘」に続き、今回は中島さんの視点から、学生時代の交流や制作活動の原点、当時描いていた将来のビジョンなどについて振り返ってもらった。前半・後半の2回に分けてインタビューをお届けする。

「社会を見てこい」、西新宿の高層ビル街でポートレート撮影

――武蔵美時代、奥山さんは写真の授業での中島さんの撮った作品に衝撃を受けたようですね。

「ええ、あれはとても印象深い授業でした。街に出て、見ず知らずの通行人に声をかけ、ポートレートを撮らせてもらう授業だったんですが、通行人に怪しまれ、なかなか撮らせてもらえないんです。当然ですよね。だから、心がかなり傷付きました。おそらく先生は、授業を通じて『温室でぬくぬくとしている集団ではダメだ。社会を見てこい』と言いたかったのかもしれません。学生なんて、世の中でいかに役に立たず、ちっぽけな存在なんだということを分からせたかったのでしょう」

中島信也 1959年福岡生まれ、大阪育ち。武蔵野美大卒後、82年東北新社入社。日清食品カップヌードル「hungry?」やサントリー「伊右衛門」などヒットCMを連発。「矢島美容室 THE MOVIE~夢をつかまネバダ~」など映画監督としても活躍。2019年6月より東北新社副社長

「学生が楽をしようとして、知人や親戚のポートレートを撮影してくると、先生はちゃんと見抜くんです。人物の表情や全体の雰囲気から分かるんでしょうね。仕方がないので僕は氏名や学校名、連絡先などを手書きした名刺を作り、趣旨を丁寧に説明したうえで信用してもらい、ポートレートを撮影しました。場所は西新宿の高層ビル街辺りだったと思います。若者や女性ではなく、家族やサラリーマンらの顔をよく撮っていました。その作品を奥山君は覚えていてくれたんでしょうね。僕の作品をあんな風に評価していてくれたなんてまったく知りませんでした。とても光栄なことです」

みうらさんの単位取得に助言、タイプが異なる同級生3人

――先生の評価は厳しかったんですか。

「先生は学校や学生に対して不満を抱いていたようです。竹の棒を振り回しながら『なんだ。この作品は!』なんて怒鳴ったりしていた。でも、与えられた課題をきちんとこなせば、少なくとも単位はくれるんです。ところが、みうらは授業をサボってばかり。まったくやる気がなく、とても単位を取れそうな状況ではなかった。『信也、どうすればええねん』とさすがに困っていた様子だったので、みうらが落第しないように僕が導いてあげました」

芸術祭の模擬店で自作の曲「愛の落とし子」を熱唱する中島さん(右)とそれを聞くみうらさん。学生時代は長髪だった(武蔵美1年、中島さん提供)

「彼に伝えたのは『とにかく誰でもいいから、胸から上の写真をきれいに撮ってこい』ということ。それだけです。『ほんまけ?』とみうらが半信半疑で聞くので、『そうや。それだけでええから』と説き伏せて写真を提出させ、なんとか無事に単位を取ることができました。みうらは自分の漫画やイラストを表現することには興味があったけど、授業に真面目に取り組む気は全然なかった。一方、僕は後に大学の芸術祭の実行委員長をやるなど硬派な学生でみうらとは正反対。奥山君はサーファールックで軟派な学生だった。だから3人はタイプがまったく違っていましたね」

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「むなしいのぉ~」、ファインダーから見えた虚飾の街
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