――時にはケンカもしたとか。

「みうらとは基本的に仲は良かったですが、よく一緒につるんでいたので、青春時代にありがちなケンカやもめ事もありました。女の子のことだったか、理由は忘れましたが、酒を飲んでケンカになり、『ほんだら、えーわい』と僕がたんかを切ったこともあるし、『信也、ゴメン。悪いのは俺や』なんてみうらから書き置きの手紙をもらったこともある。結構、熱い青春時代を過ごしていたんです。みうらと一緒に地方へ旅行に出かけたこともあります」

大阪府立豊中高校の落ちこぼれ、父の勧めで美大受験を決意

――なぜ美大を受験したんですか。

みうらさんと出かけた旅行先で悟りのポーズを取る中島さん。くわえているたばこは「チェリー」(中島さん提供)

「僕は大阪で育ちましたが、小中まで成績が良かったので、そのまま進学校の高校(大阪府立豊中高校)に進みます。でも勉強する方法をきちんと身に付けていなかったから、すぐに落ちこぼれてしまった。『このままでは大学に行かれへん』と諦めかけていたら、父に『実は中島家には絵の才能がある。美大を受けたらどうだ』と勧められ、それで1浪して武蔵美に入ったんです。東京芸大も受けましたが、残念ながら落ちました」

――大阪時代はどんな少年でしたか。

「両親ともに厳しかったので、ビクビクしながら周囲の顔色をうかがうような少年でした。『喜んでくれるかな』『怒られるかな』といつもセンサーを働かせていた。この経験は、後に広告の仕事をするようになると、とても役に立ちます。とにかく僕は学校ではひたすら人気者になりたくて、アホなことばかりやっていた。ホウキをギター代わりにグループ・サウンズ(GS)のまねをしたり、壁新聞で漫画を連載したり……。空回りすることも多くて『中ポンはアホや』なんてよく言われました」

音楽でメシを食うのが夢、ひょんな偶然からCM制作会社へ

予備校のバイトで収入はあったし、無理に就職するつもりはなかったという

――大学では将来、何になろうとしていたんですか。

「できれば音楽でメシを食っていきたいなとは考えていました。チューリップやビートルズが好きだったし、作詞、作曲もしていましたから……。でもあまり本気で頑張ってはなかったかな。もっと本気でやるべきだったと思います。自分の限界にうすうす気が付いていたのかもしれません。ただ、在学中から美術の予備校で講師のアルバイトをしていて結構収入があったし、同級生4人でデザインのチームを作って芸術活動も始めていたので、無理に就職するつもりはなかったです」

「実は広告やデザインは、いかにもウソ臭くて、汚れたものだと嫌っていました。むしろ軽蔑していたくらいです。でも人生は皮肉ですね。あれほど広告を嫌っていた僕が、ひょんな偶然からCM制作会社に入社し、CMディレクターとして仕事をするようになるんですから。まさに交通事故に遭ったようなものです」

(聞き手は編集委員 小林明)

※次回(2020年2月14日)は東北新社に入社し、心の中にジレンマを抱えながらも売れっ子ディレクターとしてヒットCMを連発、東北新社副社長になるまでの軌跡を回想する。

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