「むなしいのぉ~」、ファインダーから見えた虚飾の街並み

――写真の授業を通じて得たものはなんですか。

「ファインダーからのぞいた世界がまったく違って見えたのは驚きでした。ちょうどクリスマスの時期で、街全体が鮮やかに飾り付けられ、商店が歳末セールをしていたんです。整備されたばかりの人工的な街並みを見ているうちに『何だか、むなしいのぉ~』なんて虚無的な気持ちになってしまった。風景がいかにも上っ面で、真実がないように感じたんです。デザインのウソとか、虚飾とか……。僕はそんなことを考えるようなひねくれた学生でした」

――なぜ風景がそんなふうに見えたんですか。

絵画実習の合間に大学キャンパスで(武蔵美1年、中島さん提供)

「人間はどう生きるべきか、学生と学校の関係はどうあるべきか、デザインの果たすべき役割とは何か……。そんなことを真面目に考えていました。当時、学生運動はすでに下火でしたが、芸術祭実行委員会にはまだ学生運動の名残があって、『学生は社会と対峙し、世の中を良い方向に変えるために行動すべきだ』とずっと考えていた。現実逃避したい気持ちもあったかもしれません。身の回りに立ちこめる暗雲のさらに高い場所から社会を見てやろうという感じですね。その癖は今も持ち続けている気がします」

「すごく影響を受けた書籍がありました。デザイン評論家の柏木博さんの『近代日本の産業デザイン思想』。すべてのデザインはイメージでしかないなんて書いてあって、『これはえらいこっちゃ。デザイン学科の学生は全員この本を読まなきゃあかん』と真剣に考えた。そこで『研究室からのお知らせ』という偽のビラを作って学校からの告知を装い、この本を読むように学生に勧めたりしていました。今から振り返ると若気の至りですが、『手段を選ばず』という信念で行動していたんです」

みうらさんとデュオ、青春ならではのケンカやもめ事も

――みうらさんとは音楽活動も一緒にしたそうですね。

芸術祭実行委員長としてイベントや模擬店の内容を学生らと話し合う中島さん(武蔵美3年、中島さん提供)

「ええ。あまり長続きはしなかったけど、『野球』というデュオを即席で組み、何曲か録音した記憶があります。なぜ『野球』という名前だったかは覚えていません。2人とも大学に入る前から音楽をやっていたし、音楽で女性にもてたいという下心だけは強かったので、音楽で食べてゆきたいという淡い夢を持っていたんです。でも音楽性が違っていました。僕が好きだったのはピンキーとキラーズやチューリップ、ビートルズ。一方、みうらが好きだったのはボブ・ディラン。僕はめちゃくちゃポップだったし、彼はめちゃくちゃフォークだったので……」

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