2020/2/20

「研究室」に行ってみた。

たとえば、「縄文時代の日本人」(国家はなくともそこにいた人たちという意味で使う)は、「現在日本に住んでいる多数派」とは違う。国立科学博物館人類研究部が、福島県の貝塚から見つかった3000年ほど前の縄文人の核ゲノムを調べたところ、現在の日本人(東京でサンプルを得た本州出身者)のゲノムで縄文人に由来するのは14~20%ほどだったそうだ。そして、「現在の日本人」はむしろ中国、ベトナムなど、東ユーラシアの集団との親和性が高かった。いずれも、2016年に発表された論文に記されている。

それでも、ぼくたちは縄文人のことを、日本列島に住んでいた先達だと思っているわけだし、しばしば先祖、祖先、とも呼ぶ。たとえば、同じく国立科学博物館の人類研究部の海部陽介さんが主導して成功に導いた「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」は、台湾ルートで日本にやってきた「最初の日本人」、つまり、縄文時代よりももっと前の旧石器時代の「先祖」の航海を実証するものだった。

川端裕人さん。

今は、人類の歴史上、もっとも人の移動が活発な時代だ。かつて、何世代、何十世代もかけてゆっくり起きた変化が、数十年、一世代のうちに簡単に起きうる。数十年後はともかく、これから数百年後、日本列島に住んでいる人たちが、今ぼくたちが言う意味での「日本人」と同じであるとする根拠はあまりないと思う。

だとしたら、ぼくたちが未来に送ることができるぼくららしさの中で、最良のものとは何だろう。できれば、それが不寛容と排斥の精神ではなく、寛容と相互尊重の精神に基づいたものであってほしいと願う。

最後に鈴木さん自身について。

これまで事実ベースの「ふまえておくべき日本の移民史」と、現在の問題点を伺ってきたわけだが、ともすれば問題だらけで大変なこの分野の話をしつつも、鈴木さんは常に朗らかだ。リズムよく弾むように語り、よく笑う。

書き起こすとその雰囲気は伝わらないけれど、ひょっとするとそういった前向きの力強さになにか大切なヒントが隠れているのではないかと感じていた。

というわけで、鈴木さんがなぜこういった問題にかかわり続け、また、研究をするに至ったのか聞きたい。

「実は、私、大学で学んだ専門は全然違っていて、美学なんです。でも、当時、大学教員は美学・美術史あわせての採用がほとんどなので、美術史もやらないとダメだってまわりの人に言われました。そこで、日本の美術史の勉強を始めたら、部落差別の問題に気づいてしまって。歌舞伎などの芸能も、屠畜や皮革加工なども同じ『河原者』の生業であったのに、前者がのちに高い社会的地位を獲得する一方で、後者は、いわれなき差別というか、本人が変えることのできない生まれによって可能性を奪われてきたということに引っかかってしまって。この時は研究というよりは、個人レベルでいろいろ本を読んだりするうちに、自然と在日コリアンの問題にも触れていくようになって……というのが始まりなんです」

そんな経緯で鈴木さんは大学の修士までの美学の研究から、社会学へと舵を切ることになった。「生まれ」という本人には変えることができないことで大きな不都合を抱え込むというのは、日本の「移住者」「移民」にもそのまま当てはまることだ。鈴木さんにとって、活動の場としても、研究の場としても、非常にやるべきことが多い出会いだったのだと想像できる。

「実は、そんなふうに問題に目覚めたというのは、話の半分で──」と鈴木さんは続けた。

「私が20代の時期は、ちょうどバブルの時代で、さまざまな外国人が日本に来るようになり、彼ら彼女らとふつうに接するようになりました。すると、単純におもしろいんです。違っているのがすごくおもしろい。えー、こんなもん食べてるとか(笑) 最初はちょっと食べにくかったものが、慣れるとおいしくなったりとか、そういった体験がベースにありました。オーバーステイの人も多くて、いろんな問題に直面するんですが、みんな明るいんです。それで、そんな体験から、私にとって、こういった移民とか外国人と呼ばれる存在が楽しいっていうふうになって、気づいたらここにいたんです」

ここに来て、ぼくは、おもわず、「あ」と声をあげそうになった。