外国人労働者が苦しむブラック職場 制度の看板と矛盾国士舘大学 社会学 鈴木江理子(3)

ナショナルジオグラフィック日本版

国士舘大学教授の鈴木江理子さん(右)にインタビューする川端裕人さん。
文筆家・川端裕人氏がナショナル ジオグラフィック日本版サイトで連載中の「『研究室』に行ってみた」は、知の最先端をゆく人物を通して、世界の不思議や課題にふれる人気コラム。今回転載するシリーズのテーマは日本の「移民」。U22世代が新しい社会を築くためのヒントに満ちています。同じ時代、同じ社会を共に生きるという視点を通して、一人ひとりの人間の見え方が変わるかもしれません。

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日本で暮らす外国人、本稿の文脈では「移民」について、戦後から20世紀中の流れを見てきた。

歴史をおさらいするつもりが、人間の移動についての話なので、話題になったトピックにはそれぞれ、今につながる物語があることを知った。つまり、日本にやってきた彼ら彼女らとその子どもたちは、もうずっとぼくたちの一部なのである。

ただ、そういうことは見えにくい。特にアジア系だと、見た目では分からなくなるし、それ以上に、移民の受け入れに慣れていない国ゆえの独特の事情もあるかもしれない。

移民政策に詳しい国士舘大学教授の鈴木江理子さん。

「たとえば、日本人の親を持つダブル(ハーフ)の子には、日本国籍が付与されます。そうすると、『日本人』として扱われ、もう一方のルーツが奪われてしまうんです。日本国籍だから『日本人』とみなされ、日本以外のルーツはないものとして、彼ら彼女らが受け継いでいるはずの母語や母文化を尋ねることもなければ、配慮したり、尊重することもない。これが移民国家のアメリカであれば、統計を取るときに人種や民族カテゴリーを尋ねますよね。でも、日本では、国籍は聞くけども、民族・エスニックのカテゴリーは聞きません。日本国籍になって、国民になったあなたたちは、もう日本人なんだってことですよね」

日本では、日本国籍であることと「日本人」であることは、ほぼ同義だと観念される。実際には、よその国にルーツを持つ日本国籍者はたくさんいるのに、そういった存在は、法的にも行政的にも基本的に「存在しない」ことにされてしまう。

「この社会で生きていくには日本的であらなければならないという同化圧力があります。異なるルーツをもっているからこそ、日本人以上に礼儀正しくなければいけないですとか、ダブル(ハーフ)の子どもたちも、無意識のうちに習得していきます。やっぱり、なかなか本当の意味の多様性って難しいですね。多様な人が暮らす社会になったはずなのに、多様な社会にならない……」

そのようなわけで、日本において、3世以降が社会に出てくるような比較的古い時期の「移民」について、「ルーツを奪われる」あるいは「ルーツを隠蔽せざるをえない」「過剰に同化しようとせざるをえない」ような状況が起きていることは覚えておいた方がいい。

そして、その上で、前回の話題だった「日本の移民史」をさらにたどっていく。

もともと、ぼくは「留学」「研修」「技能実習」「特定技能」といったことについて混乱しているのだが、ここから先、まさにそういったことに直接関係していく。

「まず、留学生です。1983年に大学の国際化をめざして『留学生10万人計画』が出されたのですが、当初はあまり増えませんでした。その後、18歳以下人口が減少し、定員割れに悩む大学が積極的に受け入れるようになり、次第に留学生が増加し、2008年には『留学生30万人計画』が策定されました。そして今、実際に30万人ほどの留学生がいます。『留学』の在留資格だと、原則、週28時間(以前は週20時間)のアルバイトが認められるので、彼ら彼女らは飲食店などのサービス産業の貴重な労働力になっています」

ぼくが近所のコンビニで頻繁に見るようになったのは、週に28時間の枠内でアルバイトをしている留学生だ。このところ存在感が増しているのは、よく報じられるようにコンビニのアルバイト不足で、複雑な対応が必要な接客の現場でも積極的に雇用されるようになったからだろう。

しかし、留学生はあくまでも留学生だ。勉学が本分なので、労働力としてあてにするのは本末転倒だ。彼ら彼女らが、就労するのはあくまでも将来のことなのだ。

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