戦前から現代まで 日本で暮らしてきた多様な「移民」国士舘大学 社会学 鈴木江理子(2)

とすると、今、日本には、どんな「移民」がいるのだろうか。あるいは、いずれ「移民」になるかもしれない「外国人」はどんなかたちでここにいるのだろうか。

前回、「留学」「研修」「技能実習」「特定技能」という在留資格をあげて、それらがこんがらがって理解しにくいと言ったけれど、これらは主にここ30年程度の話だ。しかし、第2世代、第3世代まで考えるというと、それよりも前からある歴史的な経緯を含めて、見取り図を描いておかなければならなくなる。というわけで、あえて遠回りして、歴史的な経緯を見ていきたい。

「じゃあ、私が講義で使っている資料をお見せしますね」と鈴木さんはプリンタで資料を打ち出してくれて、ぼくはそこから講義を受けるモードになった。

「日本は、歴史上、移民を送り出す側の国だったので、移民(外国人)を受け入れる側になったのは、比較的最近です。けれども、移民受け入れを考えるにあたって、まず、覚えておかなければならないのは、旧植民地出身の人たちのことだと思います。日本の移民研究の中では、オールドタイマーとか、オールドカマーと呼ばれていて、つまり、戦前から日本に居住している旧植民地出身者とその子孫のことです。戦後、日本が主権を回復したと同時に日本国籍を失い、『外国人』となってしまった人々で、多くが朝鮮半島にルーツを持つ、いわゆる『在日コリアン』です」

オールドタイマー・オールドカマーという言葉は、当然、ニューカマーと対になっていて、後者は戦後新たに来日した外国人を総称するものなので、旧植民地出身者は、日本の移民受け入れの歴史の中で、一大分野だ。

ただし、今では1世の高齢化による死亡、日本国籍の取得や日本人との結婚などによって、戸籍上の外国人としてのオールドタイマーは少なくなりつつあるという。

国士舘大学教授の鈴木江理子さん。日本の移民を研究するかたわら、外国人の支援も自ら行っている。

「それでも、その存在は踏まえたほうがよくて、今、日本の過去のいろんなことが消されていってますよね。例えば関東大震災における朝鮮人虐殺に関しても、小池都知事になって以降、都知事は、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らなくなりました。学校の教科書の記述もかなり変わってきていて、そういった部分が消されて、忘却されていくわけです。でも、過去を知らないと、じゃあ、なぜ朝鮮学校があるのかといった意義も分からなくなります。今、多様な人が日本に来ている時にこそ、やはり過去を踏まえる必要があると思うので、まずはそのことを強調しますね」

日本に生まれ育った人なら、誰でも、身近なところで、ここでいう「オールドタイマー」との接点があるはずだ。ぼく個人で考えても、小中高、そして大学などの学校に通う際にも、大人になって住んだ地域にも職場にも、朝鮮半島ルーツの2世、3世、つまり、ここでいうオールドタイマーがいた。ここで気付かされるのは、彼ら彼女らは、まさに本稿の定義ならまさしく「移民」だということだ。

そういったベースがありつつ、日本が次に「外国人」を受け入れるのは、1970年代の「中国帰国者」だ。1964年生まれのぼくは、この「残留孤児」の話題をよく覚えている。幼い頃に家族と生き別れて遠い国で育った人たちの帰還は、当時、まだ小学生で自分自身幼かったこともあって、胸に響いた。

「1972年に中国との国交が回復したことで、敗戦の混乱の中、中国東北地区に取り残されてしまった『残留孤児』や『残留婦人』の肉親捜しが、政府の支援のもとに始まり、『残留孤児』や『残留婦人』、その家族が、日本に永住帰国するようになりました。国費による帰国者とその家族は2万人強、私費での帰国者やその家族・親族を含めると10万人以上になると言われています」

もともと日本人だった人たちとその家族が「帰国」したのだから移民というのは違和感があるという人もいるかもしれないが、これも「国境を越えた移動により別の国に暮らすようになった人びと」であることには変わりないだろう。

さらに1978年からは、社会主義国になったインドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)から逃れてきたインドシナ難民の受け入れが始まり、1万1000人以上が定住資格を得た。また、難民条約が発効した1982年以降は、条約に基づいて日本政府が認定した難民の受け入れが始まる。もっとも、日本の難民認定は狭き門で、これまでに認定されたのは750人(2018年末時点)にすぎない。

ここまでは戦争によってもたらされた混乱をなんとか復旧する営みや、近隣諸国の政治的な不安定に基づくものが中心だが、やがて日本が次第に経済発展するなかで、労働目的に日本にやってくる外国人が増える。

「70年代後半からは、風俗産業で働くアジア出身女性の姿を見かけるようになります。『唐ゆきさん』(日本がまだ貧しかった時代に、海外に渡った日本人女性)にならって、『ジャパゆきさん』などと呼ばれましたが、東南アジア出身女性に対する歪んだイメージを与えることにもなりました。騙されて来日した人も多かったことも問題です。その後、バブル景気の労働力不足のなか、アジア各国からの男性労働者が急増します。日本が本格的な外国人労働者受け入れ国になっていく時代です。彼らのほとんどが合法的な就労資格をもっていなかったのですが、当時は『ジャパゆきくん』と呼ばれることもありました」

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