芸人・又吉直樹さん 刺さった父の「調子に乗んなよ」
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は芸人で、作家としても活動する又吉直樹さんだ。
――新刊小説「人間」の冒頭に「叫びたいのに叫べない」という描写があります。あれはご自身のことですか。
「そうです。子どもの頃から感情を出さないようにしていました。お笑いライブの幕が下りる時、客席に向かって手を振りますよね。あれが30代になるまでできなかった。『おまえはちゃうやろ』とお客さんに言われそうで。恥ずかしくて、頭を下げるだけでした。その抑圧を解放するのが自分の表現だと思います」
――何かトラウマがある?
「父親の影響ですね。6歳の頃、沖縄の父の実家で宴会がありました。誰かが三線を弾き始めると父が踊り出してすごく盛り上がるんです。『直樹も踊れ』と親戚に言われて、僕は嫌で仕方なかったけれど水を差したくないと思って、頑張って踊ったんです。そしたらものすごくウケた」
「僕は初めて『人を笑わすってこんなに気持ちいいんや』と知りました。台所で麦茶を飲んでいると、父親がやってきて一言『おまえ、調子に乗んなよ』と。僕は『ああ、確かに調子に乗っていたな』と思いました。それ以来、調子に乗っていると思われるのが怖くなりました」
――お父さんは沖縄の名護、お母さんは鹿児島の奄美のご出身ですね。
「父方のお墓からは湾を挟んで正面に辺野古が見えます。汀間(ていま)という集落で、あの辺はずっと貧しく米軍基地を受け入れてきた歴史があるから、父も基地問題について何も言わないですね。母親は加計呂麻島という、さらに田舎の島の出身です」
――どんなご両親ですか。
「父は水道設備の職人、母は看護師で、仕事のために大阪の寝屋川に出てきたようです。母はアパートの隣に住む父の言葉を同郷と思ったらしく、酔っ払った父を介抱しているうちに何となく(結婚することに)。沖縄や奄美の人って近所の人と家族のように付き合うので、僕が小さい頃は、狭い家に母の病院の患者さんの子どもとか知らん人が結構いましたね」
――高校時代はサッカーでインターハイに出ました。
「高校3年の大阪大会決勝の時に、父親が友人を連れて初めて見に来てくれました。0対1で負けていて後半同点に追いついた。父の方を見ると、友人と砂場で相撲を取っていました。PKで勝ったんですが、父はPKも見ずに帰りました。悪意はないんですけどね。僕の小説も読んでいないです」
「母もちょっと変わっています。僕がテレビに出始めた頃に電話をくれて、『母さんはたった4、5人の前でしゃべるのも緊張する。直樹も大勢の前で話すのしんどいやろ。あんた1人ぐらい養えるから帰っといで』と。10年下積みしてやっとテレビに出られたのに。2人とも何だか自由で独特で人間っぽいです」
(聞き手は生活情報部 大久保潤)
[日本経済新聞夕刊2020年2月4日付]
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