今では僕も何も考えず、前半の落語を終えたところで前座さんの「お仲入り~!」という大きな声と「仲入り太鼓」と呼ばれる儀式的な太鼓と笛による音楽を流して、なんの注釈もなくそのまま休憩に入っているけど、仲入りを知らない方からしたら一体どういう時間か分かりづらいに違いない。そういえば仲入りを終演の合図と認識してしまって、そのまま帰りかけたことがかつての自分にもあった。儀式的な太鼓は何となく終わりの合図っぽくて、それまでで十分に落語を楽しんだから、さぁ帰ろうと思ったら、周りを見ると、立ち上がっているお客様もいるけど、どうもまだ帰る感じじゃなくて、「あ、これは休憩ということか」と分かったのだった。

「明石家さん」「市川さん」の違和感

「立川吉笑の落語入門」では、落語界の中にいるとつい当たり前だと思い込んでしまう事柄をかみ砕いて説明するようにしているから僕自身の気づきになる。これまでの配信で一番反響があったのは「落語家の呼び方」だ。落語家の芸名は「桂(かつら)」とか「三遊亭」とか「立川」とか亭号(ていごう)と呼ばれる部分と、「談志」とか「談笑」とか「吉笑」の名前の部分に分かれる。

落語界の住人にとっては、落語家を亭号でなく下の名前で呼ぶのが当たり前だ。「談笑さん」とか「談笑師匠」とか「吉笑さん」とか。亭号を含めて「立川吉笑さん」と呼ばれても違和感はないけど、これが亭号だけで「立川さん」と呼ばれるのはどうしても変だと感じる。

「立川さん」と呼んだ時に、師匠の談笑も僕も、志の輔師匠も談春師匠も志らく師匠もみんな「立川」だから、全然個人が特定されない。それで亭号で呼ばないルールになったのだろう。思えば鶴瓶師匠のことを「笑福亭さん」と呼ばないし、さんま師匠を「明石家さん」とも呼ばない。同じく歌舞伎の世界もそうで、市川海老蔵さんを「市川さん」とは呼ばない。

これは意外と知らない方が多いみたいだ。一般のお客様はもとより、新聞や雑誌などでインタビューを受けた際に、記事内でプロの記者から「立川さん」と表記されることがしばしばある。

世間一般で考えると、初対面でいきなり下の名前を呼ばれるのは、なれなれしい感じがするものだけど、我々落語家はそう呼んでもらうと「あっ、この方は落語のことを分かってくださっているなぁ」とうれしくなる。「吉笑さん」の声、お待ちしています。

立川吉笑
本名は人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。軽妙かつ時にはシュールな創作落語を多数手掛ける。エッセー連載やテレビ・ラジオ出演などで多彩な才能を発揮。19年4月から月1回定例の「ひとり会」も始めた。著書に「現在落語論」(毎日新聞出版)。


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