節分の豆まき 雪国ではダイズでなく、落花生の不思議
今年の節分は2月3日。節分には「鬼は外、福は内」と声をあげながら豆まきをする。この豆、一般的にはいったダイズを使うが、「殻付き落花生」をまく地域があるのをご存じだろうか。北海道や東北、信越にはこうした地域が多いという。
千葉県生まれ千葉県育ちの私が信州に移住し、節分には落花生をまくと知ったときには心底驚いたものだ。友人が「あすは節分だからスーパーで落花生を買ってきたの」というのを聞いて、てっきり節分を祝う宴のつまみかと思ったら、子どもと一緒に使うという。
よくよく聞けば、節分の豆まきのことだと分かった。移住してから受けた数々の「食のカルチャーショック」のうちの一つである。
話はずれるようだが、異文化コミュニケーション教育という学問において、人は異文化に遭遇したときに4つの時期を経験すると聞いた。最初はすべての新しい環境が楽しく思える「ハネムーン期」、次に新しい文化に違和感や敵対心を持つ「ショック期」、まわりの環境に慣れて文化変容が見られる「回復期」、そして、すっかり異文化に適応し、ストレスや違和感がなくなる「安定期」があるとのこと。
この心的ストレスが回復していく様子を曲線になぞらえて、「カルチャーショックのU字カーブ理論」と呼ぶのだそうだ。
特に食に関しては、人は自分が育った場所の食文化こそが素晴らしいと信じ、それ以外の文化には敵対心を持つ「ショック期」が長いように思う。私も信州の人がサバ缶をみそ汁にすると聞いたときには「うわっ、気持ち悪っ!」と思って、しばらくは口にする気にならなかった。お盆やお彼岸には、まんじゅうに衣をつけて揚げた「てんぷらまんじゅう」をお供えすると聞いたときもかなりの違和感を抱いた。移住して8年くらいになるけれど、これは一度も食べたことはない。
しかし、「信州では節分の豆まきに殻付き落花生を使う」と聞いたときには一瞬衝撃を受けたものの、すぐに「それ合理的でいいねぇ!」とその文化をリスペクトするようになった。「カルチャーショックのV字回復」である。
殻付き落花生で豆まきをすると何がよいか。それは、これまで節分の豆まきで不満に思っていたことが一気に解決するからである。
豆まきのやり方は地域や家庭によって少しずつ違うだろうが、我が実家ではダイズを家の中と外でまいた後、部屋に落ちたダイズを年齢の数だけ拾って食べさせられた。掃除した後とはいえ、床に落ちた豆はホコリがついていそうで、ちょっと嫌だったのを思い出す。
豆を食べることで無病息災を祈るのだと親から教えられたが、その豆にはばい菌がついているに違いなく、かえって病気になりそうである。
それに、子どものころはいったダイズがそれほどおいしいと思わなかった。それが最大の不満である。また、外にまいた豆はさすがに拾って食べるわけにはいかない。ダイズはそんなに好きではなかったけれど、子ども心になんともったいないことかと思っていた。
それが豆を殻付き落花生にすることによって(1)落ちたものでも殻をむいて食べれば衛生的(2)外にまいたものも拾いやすい(3)何よりおいしい!(味覚は個人の好みにもよるが)ーー。いいことずくめである。
節分の豆まきに落花生を使うのは信州だけなのか。地方出身の友人たちにヒアリングしたところ、興味深いことが分かった。落花生をまく地域は、昨年末に書いた記事「おせち料理いつ食べますか? 北海道や信越は大みそか」で紹介した「大みそかからおせちを食べるエリア」とほぼ合致していたのである。
おせち料理を食べ始めるのは一般的には1月1日であるが、北海道や信越、東北の一部では大みそかの晩から食べ始める家庭が多いという。これらの地域は大みそかのほうが正月よりもメインイベントというくらい豪華な料理が並ぶという点でも共通していた。
その理由として、北海道民から「雪国は寒くて外に出られないから食しか楽しみがないから、新年を待たずにごちそうを食べてしまう」という声が聞かれた。確かにこれらの地域では降雪量が多い。
節分に落花生が使われる理由もどうやら「雪」と関係しているようだ。豆まきに落花生が使われるようになったのは1960年前後、北海道が発端という。「外にまいたときに雪の中でも拾いやすいから」がその理由とか。
北海道は赤飯を作るのもお菓子の甘納豆をコメに交ぜて炊くと聞いた。何事にも合理的で革新的なのは開拓の歴史の中から培った道民性なのだろう。こうして北海道から始まった「落花生で豆まき」が同じく雪国の東北や信越にも広まっていったようである。
ちなみに雪国ではない宮崎県や鹿児島県でも落花生を使う地域がある。これは落花生の産地だからとか。そういえば私の出身地の千葉県こそ日本有数の落花生の産地だ。でも、節分で使われないのは保守的な県民性だからだろうか。
さて、そもそも節分で豆をまくというのはなぜか。「節分」とは「季節を分ける」と書くように、もともとは「立春、立夏、立秋、立冬の前日」を指していた。その中でも旧暦の正月と重なることが多い立春の前日だけが重要視されるようになった。
季節の変わり目には災害や病気が起きやすいと考えられ、それを「鬼」に見立てて追い払う儀式が宮廷で行われていた。豆は「魔目」に通じ、豆を鬼の目にぶつけて追い払うことで「魔を滅する=魔滅」になると考えられていた。この儀式が庶民にも広まっていったというわけだ。
ところで、落花生は「南京豆」とも呼ばれる。「ピーナツ」という呼び方もある。落花生は豆なのか、ナッツなのか。答えは「豆」である。ナッツとは「木」の実のことをいう。落花生はマメ亜科ラッカセイ属の一年草で、「草」である。
節分に豆が使われるのは豆に『魔(マ)を滅(メっ)する』力があると信じられているからであり、『木の実』だとその効力は期待できなさそう。落花生は豆の仲間だから、節分の豆まきに落花生が使われるのはよい気がする。
北海道民、合理的だけど、実はちゃんと意味も考えて落花生を選んだんじゃないの? そう思って道民の友人に水を向けると、「たぶん、何も考えてないと思います。チョコレートをまく家もあります」と笑っていた。
ところで、豆まきの後は年の数だけ豆を食べることで無病息災を祈ることになるという。殻付き落花生の場合は、殻ごと1つで1歳とカウントするのか、それとも中には粒が2つ入っているから殻ごと1つで2歳とカウントするのか。信州の友人に聞くと「殻ごと1つで1歳かなぁ」との返事だった。そうなると、大人になるとかなりの数を食べねばならないなぁ。でも、落花生好きにはそれもまたうれしいのである。
(ライター 柏木珠希)
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