エジプトのミイラ巡る黒歴史 薬として取引・偽物作り

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

フランスのエジプト学協会員と賓客の前で古代エジプトの巫女のミイラ開きを見守る初期エジプト学者ガストン・マスペロ(中央)。1891年ポール・ドミニク・フィリッポトー作(BRIDGEMAN/ACI)

現代の研究者であれば、古代エジプトのミイラに最大の敬意と注意を払って接するだろうが、かつてそうではない時代があった。

ヨーロッパにおいてミイラは、研究対象というよりも、薬や顔料といった実用の商品だった。15世紀には、ひと儲けをもくろむ商人たちによって、エジプトからヨーロッパへミイラを運び出す「ミイラ取引」が盛んになった。

薬効を信じられていた

死後の世界のために体を保存するミイラ作りは、複雑な工程で長い時間を要する。時代の変化とともにその手順も進化したが、基本的な作り方は変わらなかった。内臓を取り除いた後、ナトロンと呼ばれる天然の鉱物を使って体を乾燥させる。没薬(もつやく)などの香料を加え、体に油と樹脂を塗り、亜麻布やおがくずを詰めてから布で全体を包む。

スペイン、マドリードの国立考古学博物館所蔵のミイラ。エジプト第3中間期(紀元前1070~紀元前664年頃)に生きていた女性のもので、1884~1886年にカイロに赴任したスペイン領事のエドゥアルド・トダが入手した(PRISMA/ALBUM)

なぜミイラが薬に使われるようになったのかは、専門家にもわからない。ヨーロッパでは、防腐処理を施された遺体に超自然的な癒しの力があると信じていた。古代世界で癒し効果があるとされた瀝青(れきせい)がミイラに含まれていると誤解されたためだと指摘する学者もいる。

黒くて粘着性のある瀝青は、死海周辺で産出する原油由来の炭化水素化合物で、西暦1世紀の学者プリニウスやディオスコリデス、2世紀のガレノスが、その薬効について書き残している。ディオスコリデスは、アポロニア(現在のアルバニア)産の液体の一種について記述し、ペルシャ語で「ムンミヤ」と呼ばれていると説明した。またプリニウスによれば、創傷やその他様々な病気に効果があったという。

中世ヨーロッパの学者たちは、エジプトの墓で発見された黒っぽい物質を見て、瀝青ではないかと考えた。11世紀の医師コンスタンティヌス・アフリカヌスは、ムンミヤとは「死者の墓で見つかった香辛料」で、「黒く、異臭を放ち、輝きがあり、大きいものほど質が良い」と書いている。

盛んなミイラ取引、「偽物ミイラ」づくりも

ヨーロッパでミイラが薬になると考えられるようになったのは、15世紀のこと。薬用ムンミヤの需要が高まったのがきっかけだが、天然の瀝青は希少だったので、野心的な商人たちはその代替となるミイラを探しにエジプトの墓へ出かけて行った。ミイラの体とそこに含まれる樹脂、油、香油をすりつぶしてみると、ペルシャのムンミヤと粘度も色もそっくりなものができた。しかも、ムンミヤよりも香りも良かった。

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