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笠原健治・ミクシィ会長

笠原健治・ミクシィ会長

大阪の北野高校でお笑いのセンス豊かな同級生からサービス精神を鍛えられたというミクシィ創業者の笠原健治会長。2013年に37歳で社長を退いた後も、写真・動画共有アプリ「家族アルバム みてね」を立ち上げるなど新たな事業に挑み続けている。振り返れば、官僚を目指して東大受験を考えていた高校3年生の夏、先生の一言がきっかけで猛勉強に取り組んだ経験が、今につながる仕事への向き合い方の礎になったという。

【前回】北野高で得た「楽しませてナンボ」魂 ミクシィ笠原氏

大学は東大の文系に進もうと考えました。将来的には、社会問題を俯瞰(ふかん)してみたうえで、自分で解決していきたいという思いがあったので、それなら官僚という道があるんじゃないかと。官僚になるなら東大が良いだろうと考えて、高校2年ぐらいの時に進路を決めました。

社会問題を解決したい。官僚を目指して東大を受験した。

当初は理科系の進路も検討したけれど、なかなか専門を絞ることができませんでした。高校の科目では数学と日本史がわりと好きでした。親が大学の先生で理科系の人間だったこともあり、中学の頃からずっと数学は得意でした。数学はある種のゲームみたいに謎を解くような面白さがあるんです。ある程度セオリーを根幹から理解していくと、応用問題も解けたりする。ちょうどゲームのRPGを攻略しているような感覚を味わえるんです。

また親は歴史好きでもあったので、家には日本史の本があり、勉強で困ることはありませんでしたね。歴史小説も読みましたが、当時、中央公論社から出ていた日本の歴史シリーズが特にお気に入りで、興味がある時代は一通り読みました。最初は戦国時代が好きだったのですが、源平など変革の時期にロマンを感じていました。

理系に進まなかったのは、専門分野がどこかで分かれてくるので、そのときに何をやるのかというイメージができなかったからです。経済学や社会学の方が全体をふんわりと見える学問のような気がして、いいなと思っちゃったんです。現実に近いというわかりやすさもあって、社会で起きていることとのつながりを感じられるので興味もありました。今にして思うと、コンピューターサイエンスの道に進んでいればすごくよかったんですが、当時そんなことはわかりませんでした。

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