北野高で得た「楽しませてナンボ」魂 ミクシィ笠原氏笠原健治・ミクシィ会長(上)

笠原健治・ミクシィ会長
笠原健治・ミクシィ会長

日本のSNS(交流サイト)時代を「mixi」で切り開き、スマホゲーム「モンスターストライク」の大ヒットでも知られるミクシィ。創業者の笠原健治会長は東大在学中に起業し、IT業界をけん引した「76世代」(1976年前後生まれ)の1人だ。笠原会長は大阪生まれで高校は府立の名門、北野高校で学んだ。高校時代に大阪のお笑いのセンスあふれる同級生に囲まれて、「人を楽しませてナンボ」という今につながるサービス精神が鍛えられた。

【後編】東大へ猛勉強導いた北野高先生の言葉 ミクシィ笠原氏

大阪出身で少年時代は箕面市で過ごしました。小学校の頃、スイミングスクールに通って水泳に熱中していました。父親も水泳が好きで姉もやっていたため、自分でも行きたいといって始めたんです。

中学の水泳部を創設。行動すれば大人社会も変えられることに気づいた。

中学校でも部活は水泳をやろうと思っていたのですが、進学する前になって入学を予定していた中学校に水泳部がないことに気づいたんです。やはり部活動は大事にしたいので、同じスイミングスクールに通っている仲間同士で「中学に水泳部をつくりたいよね」と話し合いました。そこで、自分で中学校の校長先生に創部を訴える手紙などを書いたりして働きかけたんです。それが受け入れられて、中学校に入る頃には水泳部ができあがっていました。

「中学の水泳部を創るために、入学前に校長に手紙を出して働きかけた」と語る

この時が大人社会に対しても自分から何か行動をすれば変えられたり、クリエイトしたりできることに気づいた瞬間です。原体験として印象深かった出来事ですね。仲間同士で創りあげた部活だったので、みんなのモチベーションも高く、強い水泳部に育ちました。

小学校の頃には、近くのお絵描き教室みたいなところにも通っていました。そこでの先生の指導方法が印象深かったです。子どもは早く課題を提出して帰りたいので、すぐに「できた」「できた」と先生にいうんですが、先生は「自分でいいものを考えつくした上でもってきなさい」と跳ね返すんです。その様子を見ていてたから、自分はじっくり考えてやりきってから持っていくようになりました。そんな経験を少年時代にできたことは良かったと思います。

その頃の将来の夢は宇宙飛行士でした。ちょうど日本人の宇宙飛行士誕生に向かって動き出した時期でもあり、小学校の卒業文集では宇宙飛行士になりたいと書いたんじゃないかな。

現在は宇宙ビジネスを担う人たちに出資しています。単なる憧れだけではなく、純粋に新しい産業としての宇宙ビジネスに興味があります。日本がこの分野でどこまで存在感を出せるかという課題はありますが、手をこまぬいていてはいけないという思いがあるんです。日本の企業がポジションを築いてほしいですね。

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