小津安二郎 シャツも映画もこだわり抜いた「自然体」服飾評論家 出石尚三

映画撮影の現場ではピケ帽とシャツがトレードマックだった小津安二郎。そのシャツは風合いがきれいに出た「アライブ・シャツ」だった=共同
映画撮影の現場ではピケ帽とシャツがトレードマックだった小津安二郎。そのシャツは風合いがきれいに出た「アライブ・シャツ」だった=共同
19世紀の英国からフランスへと広がったダンディズムとは、表面的なおしゃれとは異なる、洗練された身だしなみや教養、生活様式へのこだわりを表します。服飾評論家、出石尚三氏が、著名人の奥深いダンディズムについて考察します。



日本映画の巨匠、小津安二郎監督の特別展が都内で開催されています。代表作はやはり「東京物語」でしょうか。「古い」とおっしゃるかもしれませんが、ヨーロッパでは今なお「小津安二郎特集」を上映する映画館があるほど。日本よりも海外での評価がはるかに高い映画監督であるのは間違いないでしょう。

撮影現場でいつも身につけていた白シャツとピケ帽

だいたい映画監督には凝り性が多い。その中でも小津安二郎の凝り性は伝説的といってもいいほどで、数々の逸話が残っています。たとえば「秋刀魚の味」。小津安二郎としては晩年の、1962年の映画。「路子」にふんする若き日の岩下志麻は、失恋を悲しむシーンで、黙って巻き尺を巻く演技を100回以上やり直したといわれています。

小津安二郎は自分の映画に何を求めたのか。おそらく「自然であること」だったのではないでしょうか。作品を見るにつけ、彼は「自然」「あるがまま」を映像美に結びつけた映画監督であったのだと感じ入ります。

小津安二郎はまた、自分の服装についても凝る人でありました。「全日記 小津安二郎」には服装の記述がよく登場します。

「ましろやにモーニング注文する 市川の次女結婚式の近かけれバなり」(1937年5月29日)
「松村でネクタイ 陶哉 たくみ 東興園による」(1952年4月8日)
「オーミヤくる シャツ金を払ひ二枚注文する」(1955年5月28日)

長くひいきにしていた洋服屋は「ましろや」で、日記には「マシロ屋」とも出てきます。スーツやコートの類いは、ほとんど注文服だったと考えてよいでしょう。

「東興園」は当時、銀座裏にあった小体な中華料理屋。同じ銀座にあった「松村」はその頃、銀座でもっとも高級とされた洋品店です。普通の洋服屋とはゼロの数が2つ違う。ネクタイにも凝った小津が服装に無関心であったはずがありません。

ピケ帽は登山帽とも呼ばれ、今で言うアウトドアの帽子でもあった=共同

そんな小津安二郎が撮影現場に入るときにいつも身につけていたのが、白いシャツとピケ帽でした。一説には銀座トラヤ帽子店の特注のものであったとか。かぶり方もおしゃれです。ピケ帽とはコットン製の丸いつば付き帽子で、昔は登山帽と呼ばれていました。汚れれば自分で洗い、形を整えました。

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