5700年前のガムに残ったDNAが語る 黒髪女性の病

日経ナショナル ジオグラフィック社

2020/1/11

一方、最新の研究に使われたシラカバの樹脂は、デンマークのロラン島(ロラという名は、この島にちなんでつけられた)にあるシルトルム遺跡で発掘された。現場には他にも、道具の製作や動物を処理した形跡があったが、人間の身体由来の遺物は見つからなかった。

紀元前3700年ごろ、ロラが噛んで捨てたカバノキの樹脂(PHOTOGRAPH BY THEIS JENSEN)

放射性炭素年代測定の結果、樹脂は約5700年前のものと特定された。当地に新石器時代が到来し、中石器時代の狩猟採集民族の生活に、南と東からもたらされた農耕文化が影響を与え始めた頃だ。

ロラのDNAは、新たに北ヨーロッパに入ってきた農耕民族に結びつく遺伝子マーカーを何一つ示していなかった。つまり、遺伝的にこの地域に特有だった狩猟採集民族が、これまで考えられていたよりも長く生存していたのではという考えを支持する発見だ。さらにロラのゲノムからは、乳糖不耐症であったことも明らかになった。これもまた、ヨーロッパ人が乳糖を消化する能力を発達させたのは、家畜化された動物の乳製品を摂取するようになってからという説を裏付けている。

ロラの口腔内細菌叢で見つかった細菌の多くは、口腔(こうくう)内と上気道によく見られる常在菌だが、なかには複数種の歯周病と関わりがあるとされるものもあった。肺炎レンサ球菌の存在も示唆されたが、このサンプルからは、樹脂を噛んだ時にロラが肺炎にかかっていたかどうかはわからない。エプスタイン・バーウイルスの痕跡にも同じことがいえる。世界の人口の90%がこれに感染しているが、発症する人はほとんどいないからだ。

古代人の生活を知る新たな判断基準に

樹脂の中からは他にも、マガモとハシバミの実のDNAが抽出された。ロラが樹脂を口に入れる少し前に食べたものだろう。このようにして、樹脂の中に閉じ込められた古代の人間の唾液の中にあった動植物のDNAを特定できるようになれば、他の考古学的記録からは知ることのできない食習慣(たとえば、昆虫を食べていたかなど)も明らかにできるだろうと、ハーバード大学ピーボディ考古学・民族学博物館の元コレクション・ディレクターで考古学者のスティーブン・ルブラン氏は言う。

ルブラン氏は10年以上前に、人間由来ではない物質から人間のDNAを抽出する研究に携わり、画期的な論文を2007年に発表している。研究対象となったのは、米国南西部の遺跡で発見されたユッカと呼ばれる植物の繊維で、これも人の口の中で噛まれたものだった。

今や人間以外の物質から完全なヒトゲノムが得られるだけでなく、細菌叢や食生活までもがわかるようになった。その内容は、古代の人口がどのように成長し、変化していったか、健康状態はどうだったか、また何を食べていたのかなどを理解する新たな判断基準になるだろうと、ルブラン氏はみる。

「この分野がいかに急速に進歩してきたかを見ると、驚かされます。私たちが当時やっていたことと、現在の研究者がやっていることを比べると、なんという違いでしょう」

また、今回の研究は、どんなに目立たない小さなものでも研究して保存することの大切さを教えてくれるとルブラン氏は付け加える。ピーボディ博物館の来館者に乾燥したユッカの塊を見せたとき、「博物館が100年以上も前から所蔵しているものだと伝えると、なぜこんな小さなものを、と不思議がられました。そこで、この塊から人間のDNAを抽出したのだと説明すると、皆さん目を丸くして驚いていました」という。

ルブラン氏は、今回の研究対象となった欧州の「石器時代のチューインガム」についても、その保管者は似たような質問を受けたことがあるのではないかと想像する。ただの古い樹脂の塊でしかないものが、今や古代世界への理解を大きく変えてしまうかもしれない貴重な情報を隠し持っていたことが明らかになったのだ。

「『なぜこんなもののために無駄に金を出して所蔵スペースを確保する必要があるのか』と思った政府のお偉方は多いでしょう。けれど、まだこれを使って何ができるかわからないからこそ、保管し続けるんです」

(文 Kristin Romey、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2019年12月20日付]

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