メキシコ国境、亡命家族たちの肖像 米国の認可待つ
米国との国境にあるメキシコの街レイノサ。新しい生活の玄関口になると期待して、この街には世界中から何千人もの移民が集まっている。写真家のジョン・スタンマイヤー氏はレイノサで8日間を過ごし、自分の番号が呼ばれるのを待つ亡命申請者たちの体験を写真で記録した。
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サムリュット・テスフェイさんは、アフリカからやって来た。娘のマルハリちゃんを連れて東アフリカの国エリトリアからスーダンまで歩き、そこからドバイを経て、2019年4月、レイノサにたどり着いた。ウラジーミル・パトルシェフさん一家も、ウクライナから大陸を越えてやって来た。テスフェイ一家と同じく、米国に亡命を申請するためだ。
レイノサに押し寄せる亡命申請者たちに対応するため、米税関・国境取締局(CBP)とメキシコの出入国管理当局は3月、移民シェルター「パス・オブ・ライフ(センダ・デ・ビダ)」の所長を務めるヘクトル・シルバ牧師と連携し、亡命待機リストを作った。移民は米国の国境検問所で亡命を申請する権利を持つが、CBPは昨年から亡命申請者の審査を厳格化していた。
テスフェイ一家やパトルシェフ一家が寝泊まりするドミトリー部屋を出ると、大空間に色とりどりのテントが並ぶ。ベネズエラやキューバ、ホンジュラス、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドルから来た家族が暮らすテントだ。シェルターの最大収容人数は260だが、すでに470人が収容されている。新たにレイノサにやって来た移民は、料金を支払ってホテルに宿泊するか、暴力がはびこる街で路上生活するしかない。
シェルターの住人は共用バスルームの前に列をつくり、順番が来ると、子供の体に冷水シャワーをかける。昼間の気温が40度近くに達するため、熱中症を防ごうとしているのだ。朝食後、子供たちはおもちゃが散らばる日陰で遊ぶ。女の子は「ハローキティはスペイン語でなんて言うの?」などとおしゃべりしている。男の子はオレンジ色や黄色の紙で鶴を折っている。
亡命審査に関する公式データは存在しないが、レイノサの移民たちによれば、亡命待機リストに名前を書いても、誰一人として亡命申請を認められない日が数日から数週間続くという。テスフェイ一家とパトルシェフ一家は同じ日に自分たちの番号を呼ばれたが、リストに登録して2カ月近くが経っていた。
シェルターの門が開き、1台のバンが入ってきた。メキシコの出入国管理当局が約束の地に向かう人々を迎えに来たのだ。シェルターに残された移民たちは門が閉じるまで、じっとバンを眺めていた。まるで神を見ているかのようだった。
次ページでも、レイノサで亡命受け入れの吉報を待つ家族たちを紹介する。
(文 ALICE DRIVER、写真 JOHN STANMEYER、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2019年10月13日付け記事を再構成]
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