「人材の総入れ替え」を選ばなかった理由

「不満大会」をきっかけに事業を立て直した経験から、改めて「人の力のすごさ」を学んだという。

「もともと技術職でしたから、モノやテクノロジーを中心に考えがちでした。しかし、この立て直しの経験を経て、モノやテクノロジーの後ろにいる人たちの潜在的なパワーがいかに大きいかを実感しました。製品も変わらず、人も変えていないのに、つなぎ方を変えるだけでこれだけの力を生み出すことができるのかと驚かされました」

ヘルスケアビジネスの立て直しを命じられた際、米国から日本への赴任に先立って幹部に会いに行き、当初の予定だった1年間での「期待値は何か」をたずねた。

「最初に言われたのは、売り上げが落ち込んでいる原因を解明してほしいということ。次にV字回復は無理でも、少なくとも止血だけはしてきてもらいたいと求められました」

そこまでの話であったならば、おそらく、それほど印象深い出来事として記憶に刻まれることはなかっただろう。幹部はその際、「どうしても今のメンバーでダメだと思ったらSOSを出しなさい。君だけは助けてあげるから」とつけ加えた。

「同じ商材を世界中で販売しているわけです。それなのに、日本だけ売り上げが急速に落ちていた。とすると、製品が悪いわけではない。メンバーが悪い。だから君だけは助けてやる、ということです。さらに、こうも言われました。『もしも、本当にダメだったら、新たにヘルスケアの会社を買収し、今いる経営陣を一掃してそちらに経営を任せるから』と」

この時点で、幹部がどこまで現実にそのような選択肢を考えていたのか、はわからない。ただ、言われた海老原氏は「世界のマルチナショナルな会社の一つの大きなセクションを任されたリーダーというのは、そういうふうに考えるものなのかと驚いた」という。

同時に、「SOSを出すのは絶対にやめよう」と心に決めた。このことは、事業再生を任された際、海老原氏が必ず選ぶ方法論の背骨にもなった。

国際規模の企業ならではの経営判断には驚きも覚えたという

自らの身を守る「助け船」ともなり得るSOSオプションを取らないと決めたのは、欧米流の常識ではあっても、それが「最適解」とは思えなかったからだ。99年に米スリーエムへ転籍するまで、海老原氏はスリーエムの日本法人にいた。部門は違えども、当時の仲間を斬って捨てるようなことはしたくなかった。と同時に現実的に考えても、業績の悪い時に人を雇い直すのは簡単ではないだろう、と判断した。

「であれば、今いるメンバーで絶対に回復できると信じ、とりあえずやろう、と思いました」

結局、この時は日本に2年半いて、事業をV字回復させて米本社に戻った。

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業績低迷期にはチームの気持ちがバラバラ
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