元サッカー選手・丸山桂里奈さん 電話口で両親が号泣
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は元サッカー日本女子代表で現在はタレントとして活動している丸山桂里奈さんだ。
――現役時代は両親の応援が励みだったそうですね。
「一番印象深いのは、2011年のワールドカップ対ドイツ戦で、私が決勝ゴールを決めた直後です。ロッカールームから家に電話を入れたら、両親の号泣が聞こえました。練習拠点にしていた福島が東日本大震災で大変なことになり、東北のために勝ちたいと考えていましたが、それは同時に私を応援し続けてくれた両親のためでもありました。両親は元陸上選手です。ゴールを決め、結果を出すことの重みを十分知っているからこそ、大泣きして喜んでくれたのです」
――子供のころはどうでしたか。
「特に母に感謝です。私はジュニアチームの『メニーナ』に所属し、中学卒業後は『日テレ・ベレーザ』に行けることになっていました。当時、サッカーを志す者にとって最上のルートでした。けれど私は、普通の高校のサッカー部に入りたいと母に打ち明けました。上手な選手のなかで自己鍛錬するより、普通のチームをどう強くできるかを試したかったのです」
「母は本当にそれでいいのか聞きましたが、私の意思が堅いと知るや、受け入れてくれました。でもメニーナの監督は怒って大変です。母は私と共に謝りに回ってくれました。自分で物事を決めることこそ大切と両親は考え、私を支持してくれたのです」
――12年のロンドン五輪の前には膝を大ケガしました。
「選手として初めて経験した挫折でした。今思えば、チームに選ばれるためアピールしようと、靱帯の損傷に気付かず、無理をしていました。結果は全治8カ月の重傷です。6カ月で治しましたが、両親には本当に世話をかけました。最初は一人でトイレにも行けなかったんです」
「なかなか完璧にならない膝に、私自身これは無理じゃないかと思うこともありました。そんな時、いつも前向きの母が『気持ちが整理できるまで(サッカーから)離れてもいいのでは』と言ってくれました。気持ちが落ち着き、ありがたかったです」
――タレント転身に、両親はどんな反応でしたか。
「テレビに出る私を楽しみながら見ているようです。正直言って、私はありのままの自分を出しているだけで、周囲の方々に生かされているのだと思っていますが、そんな私のことを両親は『人間らしくなった』と喜んでいます」
「現役時代に武器としていた足の速さをはじめ、私には両親からもらったものがたくさんあります。これまでサッカー中心の生活で離れて暮らす時間が長く、今も独立していますが、両親の家には毎日のように寄っています。全部は無理だとしても、これからの年月で、どれだけ返していけるか。最近はそんなことを考えています」
[日本経済新聞夕刊2019年12月24日付]
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