フランス料理レストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ、三国清三氏が35年に及ぶ自らの料理人人生の集大成といえるアートブック「ジャポニゼ」をこのほど出版した。付き合いを深めてきた生産者との長年の交友や、その食材をもとにシェフが腕を振るった料理の写真などをふんだんに盛り込み、500ページを超す豪華装丁の大作だ。日本の第一人者としてフランス料理界をリードしてきたトップシェフの矜持(きょうじ)が、ページをめくる度に伝わってくる。大作に込めた思いや、これまでのシェフ人生のキャリアを振り返りながら、現在の胸中を聞いた。
――タイトルのジャポニゼは「料理界のダ・ビンチ」と称された故アラン・シャペル氏のメッセージにちなみ付けられたそうですね。
北海道の増毛町で生まれた僕は、地元の中学を卒業後、札幌、東京を経て20歳のときに欧州へ渡りました。スイス・ジュネーブにある日本大使館の料理長として働く傍ら、現地の有名シェフの元に通い、フランス料理の修業を8年重ねてきました。「厨房のモーツァルト」と呼ばれたフレディ・ジラルデさんやジャンとピエール・トロワグロ兄弟、ポール・エーベルランさんらで、最後の師匠がシャペルさんでした。
僕はその後、帰国し30歳で自分の店(オテル・ドゥ・ミクニ)を東京・四ツ谷にオープンしましたが、それから5年ほどして、シャペルさんが店に食事をしにきてくれたのです。「ジャポニゼ」はゲストブックに書いてくれたシャペルさんのメッセージの中の言葉で、「日本化」を意味するフランス語です。通常はフランス人が日本人以外に向かって使う言葉なので、実に誇らしく感じたのを覚えています。日本人の僕をシャペルさんは同じフランス人仲間とみなしてくれた。そう感じたからでした。
修業時代、シャペルさんから「セ・パ・ラフィネ(洗練さに欠ける、形だけ)」とキツイ一言を浴びせられたことがあります。当時、それなりに腕を磨き、フランス人気取りで肩に力が入っていたからかもしれません。たった一度のその一言で僕の心はぽっきりと折れ、帰国を決意したのです。