
日本は今や世界に冠たる美食の国として知られるようになりました。和食やダシの「うまみ」を学ぼうと、フランスからも若き料理人たちがこぞって日本へとやってきています。僕が若かりし頃とはすっかり様変わりしたな、と思う半面、フランス料理は大丈夫かなと不安も感じます。僕の最後の師匠、アラン・シャペルさんではありませんが、「まずはフランス人のベースを確立し、その上で日本の流儀を学べ」と僕は口を酸っぱくしていってます。
フランス料理は「近代フランス料理の父」としてエスコフィエさんが基礎を築き、以降シャペルさんやポール・ボキューズさん、ジョエル・ロブションさんらがたすきをつなぎ発展させてきました。フランス料理の完成度で言えば、僕はロブションさんの時代がピークだったのではと実は思っています。ロブションさん以降は、行き過ぎ。
でも行き過ぎるとまた戻るというのもまたしかりです。行きつ戻りつを繰り返し、少しずつ進化していくもの。それが料理だと僕は思っています。
毎月1回行っているレストランのメニュー作りは、僕にとってはまさに生みの苦しみではありますが、幸いまだアイデアは浮かんできます。浮かばなくなった時が引退時と自分に言い聞かせていますが、それはまだ少し先のような気がします。
三国清三(みくに・きよみ)
1954年北海道・増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業した後、駐スイス日本大使館の料理長。大使館に勤務する傍ら、欧州の三つ星レストランなどでアラン・シャペルといった有名シェフにフランス料理の神髄を学ぶ。帰国後、1985年に東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープン。九州・沖縄サミット蔵相会合では総料理長。2013年フランソワ・ラブレー大学にて名誉博士号を授与。15年フランス・レジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章。現在、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問や国内各地の食大使などを務め、子どもの食育活動などにも取り組む。
1954年北海道・増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテルや帝国ホテルで修業した後、駐スイス日本大使館の料理長。大使館に勤務する傍ら、欧州の三つ星レストランなどでアラン・シャペルといった有名シェフにフランス料理の神髄を学ぶ。帰国後、1985年に東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープン。九州・沖縄サミット蔵相会合では総料理長。2013年フランソワ・ラブレー大学にて名誉博士号を授与。15年フランス・レジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章。現在、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問や国内各地の食大使などを務め、子どもの食育活動などにも取り組む。
(堀威彦)